・・・振り向いて妙見の山影黒きあたりを指しぬ、人々皆かなたを見たり。「我子とは紀州のことなり」源叔父はしばしこぐ手を止めて彦岳の方を見やり、顔赤らめていい放ちぬ。怒りとも悲しみとも恥ともはた喜びともいいわけがたき情胸を衝きつ。足を舷端にかけ櫓・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・南は山影暗くさかしまに映り、北と東の平野は月光蒼茫としていずれか陸、いずれか水のけじめさえつかず、小舟は西のほうをさして進むのである。 西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・登りつむればここは高台の見晴らし広く大空澄み渡る日は遠方の山影鮮やかに、国境を限る山脈林の上を走りて見えつ隠れつす、冬の朝、霜寒きころ、銀の鎖の末は幽なる空に消えゆく雪の峰など、みな青年が心を夢心地に誘いかれが身うちの血わくが常なれど、今日・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・西洋くさい文明が田舎のすみずみまで広がって行っても、盆の月夜には、どこかの山影のような所で、昔からの大和民族の影が昔の踊りを踊っているのではあるまいかと。 盆踊りという言葉にはイディルリックなそしてセンシュアスな余韻がある。しかしそれは・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・上海の市中には登るべき岡阜もなく、また遠望すべき山影もない。郊外の龍華寺に往きその塔に登って、ここに始めて雲烟渺々たる間に低く一連の山脈を望むことができるのだと、車の中で父が語られた。 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み上流の空遥に筑波の山影を眺める時、今なお詩興のおのずから胸中に満ち来るを禁じ得ない。そして恨然として江戸徃昔の文化を追慕し、また併せてわが青春の当時を回想するのである。 震災の後わたくし・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・「白い帆が山影を横って、岸に近づいて来る。三本の帆柱の左右は知らぬ、中なる上に春風を受けて棚曳くは、赤だ、赤だクララの舟だ」……舟は油の如く平なる海を滑って難なく岸に近づいて来る。舳に金色の髪を日に乱して伸び上るは言うまでもない、クララであ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・つ小家かな梨の花月に書読む女あり雨後の月誰そや夜ぶりの脛白き鮓をおす我れ酒かもす隣あり五月雨や水に銭蹈む渡し舟草いきれ人死をると札の立つ秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者鹿ながら山影門に入日かな鴫遠く鍬すゝぐ水のう・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫