・・・ さちよは、机の上に片手をつき、崩れるように坐って、「よくもないわ。煙草ないの? おやおや、あたし、あなたの顔を見ると、急に、煙草ほしくなるのね。」「これは、ごあいさつだな。」助七は、それでも、恐悦であった。「僕は、しつれい・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・けて体操できず泣き出しそうになって、それに、いま急激にからだを動かしたせいか、頸と腋下の淋巴腺が鈍く痛み出して、そっと触ってみると、いずれも固く腫れていて、それを知ったときには、私、立って居られなく、崩れるようにぺたりと坐ってしまいました。・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ラプンツェルは、こんどは泣きたくなって、岸の青草の上に崩れるように坐りました。王子の顔を見上げて、「王さまも、王妃さまも、おゆるし下さったの?」「もちろんさ。」王子は再び以前の、こだわらぬ笑顔にかえってラプンツェルの傍に腰をおろし、「君・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 重ね上げたる空想は、また崩れる。児戯に積む小石の塔を蹴返す時の如くに崩れる。崩れたるあとのわれに帰りて見れば、ランスロットはあらぬ。気を狂いてカメロットの遠きに走れる人の、わが傍にあるべき所謂はなし。離るるとも、誓さえ渝らずば、千里を・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・と婆さんを見て笑い崩れる。婆さんも嬉しそうに笑う。露子の銀のような笑い声と、婆さんの真鍮のような笑い声と、余の銅のような笑い声が調和して天下の春を七円五十銭の借家に集めたほど陽気である。いかに源兵衛村の狸でもこのくらい大きな声は出せまいと思・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 時々篝火が崩れる音がする。崩れるたびに狼狽えたように焔が大将になだれかかる。真黒な眉の下で、大将の眼がぴかぴかと光っている。すると誰やら来て、新しい枝をたくさん火の中へ抛げ込んで行く。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る。暗闇を弾き返す・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・それが次第に大きくなって往く。終に一つの大目玉が成り立った。それが崩れるとまた暫く何も出来ずに居たが、ようよう丸髷の女が現れた。その女の鬢が両方へ張って居るのは四方へ放って居る光線がそう見えるのである。その光線の鬢は白くまばらなので石膏細工・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。とうとう削られてへらされて、しまいには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るというあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になっている。それが岩頸・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・長老はやっと気を取り直したらしく、大きく手を三度ふって、何か叫びかけましたけれども、今度だってやっぱりその通り、崩れるように泣いてしまったのです。祭司次長、ウィリアム・タッピングという人で、爪哇の宣教師なそうですが、せいの高い立派なじいさん・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・無骨な、それでも優しい暢やかな円天井を持った籠の中で、小鳥等は崩れる薔薇の響をきき乍ら、暖かい夢を結ぶようになった。 顔を洗いに行こうとして、何時ものように籠傍を通ると、今朝はどうしたのか、ひどく粟が乱雑になって居るのに心付いた。籠の中・・・ 宮本百合子 「餌」
出典:青空文庫