・・・辻々に立っている印度人の巡査が頭に巻いている布や、土耳古人の帽子などの色彩。河の上を往来している小舟の塗色。これに加うるに種々なる不可解の語声。これらの色と音とはまだ西洋の文学芸術を知らなかったにもかかわらず、わたくしの官覚に強い刺戟を与え・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・しかし巡査の概念として白い服を着てサーベルをさしているときめると一面には巡査が和服で兵児帯のこともあるから概念できめてしまうと窮屈になる。定義できめてしまっては世の中の事がわからなくなると仏国の学者はいうている。 物は常に変化して行く、・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 二人の制服巡査が、両方の乗降口に残って他のは出て行った。 プラットフォームは、混乱した。叫び声、殴る響、蹴る音が、仄暗いプラットフォームの上に拡げられた。 彼は、懐の匕首から未だ手を離さなかった。そして、両方の巡査に注意しなが・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云うのがあるが、爺いさん、あれはおめえやらないがいいぜ。第一道・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・もし巡査が居なければ公園に花の咲く木は絶えてしまうだろう。殊に死人の墓にまで来て花や盛物を盗む。盗んでも彼らは不徳義とも思やせぬ。むしろ正当のように思ってる。如何に無教育の下等社会だって…………しかし貧民の身になって考て見るとこの窃盗罪の内・・・ 正岡子規 「墓」
・・・いいか、もし、来なかったらすぐお前らを巡査に渡すぞ。巡査は首をシュッポンと切るぞ。」 あまがえるどもはみんな、お日さまにまっさおにすきとおりながら、花畑の方へ参りました。ところが丁度幸に花のたねは雨のようにこぼれていましたし蜂もぶんぶん・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・ 交叉点では、黒の裾長外套を着た巡査が、赤い棒を鼻の先に上げたり下げたりして交通整理をやってる。電車にぶら下って行くのを見つけられると、職業組合手帖を見せて、一留罰金をとられる。 数台まって、やっと乗りこんだ電車は行く先の関係で殆ど・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・直ぐに使を出したので、医師が来る。巡査が来る。続いて刑事係が来る。警察署長が来る。気絶しているお花を隣の明間へ抱えて行く。狭い、長い廊下に人が押し合って、がやがやと罵る。非常な混雑であった。 四畳半には鋭利な刃物で、気管を横に切られたお・・・ 森鴎外 「心中」
・・・警察の事に明るい人は誰も知っているだろうが、毎晩市の仮拘留場の前に緑色に塗った馬車が来て、巡査等が一日勉強して拾い集めた人間どもを載せて、拘留場へ連れて行く。ちょうどこれと同じように墓地へも毎晩緑色に塗った車が来て、自殺したやくざものどもを・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・皇室警衛のために東京には近衛師団がある。巡査や憲兵も沢山いる。警手もいる。我々の出る幕ではない。――しかし父が自ら警衛したいという心持ちにも当然の理由を認めざるを得なかった。父の皇室に対する情熱は、乃木大将のそれのように、個人的なものである・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫