・・・ 光琳が大成したという宗達の装飾的な一面は、その方向の極致なのだろうが、或るものは何となし工芸化して感じられる。そしてそういう美の世界では、宗達が嘗つて人間を自在に登場させた可能が封じられて、おのずから波や花鳥、人生としては従のものが図・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 既に、千五百十二の中等学校のうち七百四十三校が工芸技術学校となった。工場学校は百二十万人の溌溂たる勤労青年に、より高い技術を授けつつある。 農村の青年もすててはおかれない。十三万八千人の農村青年が、社会主義農業建設のために千二百十・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・その中で、優れたものを当時建築が完成しかけていた某邸の広間用として是非おとりになるようにするのだといって、自分の手で建てられた家のそれぞれの場所に、自分の気にも入った世界的レベルの絵画、工芸品の飾られるのを見て、深いよろこびと満足とを感じて・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・彼女は明治三十四年に女子の工芸学校を創立したりして、婦人の向上の社会的足場を技術の面から高めて行こうとする努力をも試みたのであったが、その業績は顕著ならずして、時代の波濤の間に没している。 明治二十年以後の反動期に入ると、近代国家として・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・ 題材は何であろうと、今年の帝展の日本画の大部分は、私に、日本画が今では一つの工芸品的なものに変っていることをつよく印象づけた。 画家たちは殆ど一人のこらず、紙や絹の上に実にきれいにしかも出来るだけ厚く絵の具を盛り上げることに腐心し・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・ 御ひるっから二時頃までは何やら彼やらと下らない事を云ってすごしてしまったので大あわてにあわてて墨をすり筆の穂をつくろって徳川時代を書いた古風な雁皮紙とじたのと風俗史と二年の時の歴史の本と工芸資料をひっぱり出す。 この徳川時代をひっ・・・ 宮本百合子 「日記」
出典:青空文庫