・・・黒い天井に差す丸行灯の丸い影が、仰向く途端に生きてるように見えた。 立膝をしたまま、左の手で座蒲団を捲って、右を差し込んで見ると、思った所に、ちゃんとあった。あれば安心だから、蒲団をもとのごとく直して、その上にどっかり坐った。 お前・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 一つ毎に、白い三日月のついた爪、うす紅の輪廓から、まぼしい光りの差す様な顔、つやつやしい歯、自分からは、幾十年の前に去ってしまった青年の輝やかしさをすべて持って居る達を見る毎に押えられないしっとが起った。 親として子の体を「やきも・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・夫の書斎から差すほのかな灯かげの闇で、夜おそく、かさかさと巣の中で身じろぐ音などが聞える。 ところが四五日前、一羽の紅雀が急に死んで仕舞った。朝まで元気で羽並さえ何ともなかったのに、暮方水を代えてやろうとして見ると、思いもかけない雄の鮮・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ 死顔に差す光線は糸蝋のまたたくのと暁の水の様な色が最もまるで反対に良い。 黄金色の繁くまたたく光線にくっきりと紫色の輪廓をとって横わって居る姿は神秘的なはでやかさをもって居る。 うす灰色から次第次第に覚めて来て水の様な色が・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 奇麗に結った日本髪の堅くふくれた髷が白っとぼけた様な光線につめたく光って束髪に差す様な櫛が髷の上を越して見えて居た。 だまって先(ぐ後から軽く肩を抱えた。 急に振りっ返った京子は顔いっぱいに喜んで、「まあ来て下さったの・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ 先生は可愛いのだから、此那事を云いたく無い、厭だ厭だと思いながら、西日の差す塵っぽい廊下の角で、息をつまらせて口答えを仕たお下髪の自分を思う。――その時分私は自分を詩人だと思っていた――。 七月の日は麗わしい。天地は光りに満ちてい・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・ 後から差す日は、ポカポカと体中に行き渡って、手足や瞼が甘えるように気怠るくなる。 見わたすと、彼方の湯元から立ち昇る湯気が、周囲の金茶色の木立ちの根元から梢へとほの白く這い上って、溶けかかる霜柱が日かげの叢で水晶のように光って見え・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・立っていれば影が差すのが当り前である。そしてその当り前の事が嬉しいのである。 フランツは父が麓の町から始めて小さい沓を買って来て穿かせてくれた時から、ここへ来てハルロオと呼ぶ。呼べばいつでも木精の答えないことはない。 フランツは段々・・・ 森鴎外 「木精」
・・・ 漂う白雲の間を漏れて、木々の梢を今一度漏れて、朝日の光が荒い縞のように泉の畔に差す。 真赤なリボンの幾つかが燃える。 娘の一人が口に銜んでいる丹波酸漿を膨らませて出して、泉の真中に投げた。 凸面をなして、盛り上げたようにな・・・ 森鴎外 「杯」
・・・どこからか差す明りが、丁度波の上を鴎が走るように、床の上に影を落す。 突然さっき自分の這入って来た戸がぎいと鳴ったので、フィンクは溜息を衝いた。外の廊下の鈍い、薄赤い明りで見れば、影のように二三人の人の姿が見える。新しく着いた旅人がこの・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫