・・・共に明治三十年代のことで、人はまだ日露戦争を知らなかった時である。 コスモスの花が東京の都人に称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくしはその年代を審にしない。しかし概して西洋種の草花の一般によろこび植えられるようになったのは、大正改・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・しかもそれは意識的にしたのでなく、偶然の結果からして、年代の錆がついて出来てるのだった。それは古雅で奥床しく、町の古い過去の歴史と、住民の長い記憶を物語っていた。町幅は概して狭く、大通でさえも、漸く二、三間位であった。その他の小路は、軒と軒・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・その後青山英和学校も仕合に出掛けたることありしかど年代は忘れたり。されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四、五年を費せりといえどもややその完備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこ・・・ 正岡子規 「ベースボール」
時 一九二〇年代処 盛岡市郊外人物 爾薩待 正 開業したての植物医師ペンキ屋徒弟農民 一農民 二農民 三農民 四農民 五農民 六幕あく。粗末なバラ・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・これに賛せざる諸君よ、諸君は尚かの中世の煩瑣哲学の残骸を以てこの明るく楽しく流動止まざる一千九百二十年代の人心に臨まんとするのであるか。今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人の哲学はこの二語を以て既に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 一九二〇年代のドイツは、左翼が活躍し、ドイツ共産党も公然と存在していた時代であった。その時代に育ったエリカ・マンが民主主義の精神をもち、日に日につのるナチスの暴圧に反抗を感じたのは自然であった。エリカ・マンは、はじめ小論文や諷刺物語を・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・という小説に書いた時代からすすんで、こんにちではどこの国でも、一九二〇年代の終りから三〇年代にかけての日本にみられたような、世代の分裂、親と子の離反としてだけに止っていない。親と子、世代と世代とが、マルクシズムに対する観念上の対立というよう・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・細川忠利が隈本城主になったのは寛永九年だから、これも年代が相違している。そこで丁度二条行幸の前寛永元年五月安南国から香木が渡った事があるので、それを使って、隈本を杵築に改めた。最後に興律は死んだ時何歳であったか分からない。しかし万治から溯る・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
キェルケゴオルのドイツ訳全集は一九〇九年から一九一四年へかけて出版せられた。その以前にも前世紀の末八〇年代から九〇年代へかけて彼の著書はかなり翻訳せられたが、宗教的著作のほかは、かなり厳密を欠いたものであった。 彼に関する研究は、・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
出典:青空文庫