・・・と言われるとぴったり床の上に膝をついて、僕たちのくつであるく、あの砂だらけの床板に額をつけて、「ありがとう」と言われた時には、思わず、ほろりとさせられてしまった。 慰問会がおわるとすぐに、事務室で通信部を開始する。手紙を書けない人々・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・――紅地金襴のさげ帯して、紫の袖長く、衣紋に優しく引合わせたまえる、手かさねの両の袖口に、塗骨の扇つつましく持添えて、床板の朽目の青芒に、裳の紅うすく燃えつつ、すらすらと莟なす白い素足で渡って。――神か、あらずや、人か、巫女か。「――そ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ と卓子の上へ、煙管を持ったまま長く露出した火鉢へ翳した、鼠色の襯衣の腕を、先生ぶるぶると震わすと、歯をくいしばって、引立てるようにぐいと擡げて、床板へ火鉢をどさり。で、足を踏張り、両腕をずいと扱いて、「御免を被れ、行儀も作法も云っ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・以前は橋廊下で渡ったらしいが、床板の折れ挫げたのを継合せに土に敷いてある。 明神の森が右の峰、左に、卵塔場を谷に見て、よく一人で、と思うばかり、前刻彳んだ、田沢氏の墓はその谷の草がくれ。 向うの階を、木魚が上る。あとへ続くと、須弥壇・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……いかがわしいが、生霊と札の立った就中小さな的に吹当てると、床板ががらりと転覆って、大松蕈を抱いた緋の褌のおかめが、とんぼ返りをして莞爾と飛出す、途端に、四方へ引張った綱が揺れて、鐘と太鼓がしだらでんで一斉にがんがらん、どんどと鳴って、そ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
一 牝豚は、紅く爛れた腹を汚れた床板の上に引きずりながら息苦しそうにのろのろ歩いていた。暫く歩き、餌を食うとさも疲れたように、麦藁を短く切った敷藁の上に行って横たわった。腹はぶってりふくれている。時々、その・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・剣をつけた銃を振りまわした拍子に、テーブルの上の置ランプが倒れた。床板の上で、硝子のこわれるすさまじい音がした。 扉の前に立っていた兵士達は、入口がこわれる程、やたらに押し合いへし合いしながら一時になだれこんできた。 彼等は、戸棚や・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・何が腐り爛れたかと薄気味悪くなって、二階の部屋から床板を引きへがして見ると、鼠の死骸が二つまでそこから出て来て、その一つは小さな動物の骸骨でも見るように白く曝れていたことを思い出した。私は恐ろしくなった。何かこう自分のことを形にあらわして見・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・彼女はあの奥様の眠っている部屋の床板の下あたりを歩き廻る白い犬のかたちを想像でありありと見ることも出来た。八つ房という犬に連添って八人の子を産んだという伏姫のことなぞが自然と胸に浮んで来た。おげんはまだ心も柔く物にも感じ易い若い娘の頃に馬琴・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・それから歩いているうちに床板の透間から風が吹き込むでしょう。そうすると足がつめたくなるもんだからそういうの。「おう、つめたい。馬鹿めが煖炉に火を絶やしやあがったな」なんかんというのよ。それからどうかすると、内に帰って来て上沓・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫