とくがわみつくに【徳川光圀】
[1628〜1701]江戸前期の水戸藩主。頼房の三男。諡号 (しごう) 、義公。彰考館を設立して「大日本史」の編纂 (へんさん) を始め、社寺の改革、勧農政策を推進した。中納言となり、その唐名黄門 (こうもん) から後世、講談師によって水戸黄門として伝説化された。
とくがわむせい【徳川夢声】
[1894〜1971]芸能家・随筆家。島根の生まれ。本名、福原駿雄。無声映画の弁士として名をあげ、のち、俳優や漫談家・司会者として活躍。巧みな話術を称賛された。
とくがわむねたけ【徳川宗武】
⇒田安宗武 (たやすむねたけ)
とくがわむねはる【徳川宗春】
[1696〜1764]尾張藩第7代藩主。商業を重視し放任政策をとったため、8代将軍吉宗の享保の改革と対立、幕府から隠居させられる。著書「温知政要」は絶版処分。
とくがわよしなお【徳川義直】
[1601〜1650]江戸初期の尾張藩主。家康の九男。尾張徳川家の祖。尾州61万石の領主となり、儒学・神道を重んじ、「類聚日本紀」「神祇宝典」などの撰述がある。敬公。→尾州家
とくがわよしのぶ【徳川慶喜】
[1837〜1913]江戸幕府第15代将軍。在職1867〜1868。斉昭の七男。一橋家を相続。将軍継嗣問題では家茂に敗れ、安政の大獄では隠居謹慎を命じられた。桜田門外の変以後は家茂の後見職をつとめ、家茂の死後、江戸幕府最後の将軍となった。慶応3年(1867)大政奉還し、翌年江戸城を明け渡した。
とくがわよしむね【徳川吉宗】
[1684〜1751]江戸幕府第8代将軍。在職1716〜1745。紀伊藩主徳川光貞の四男。紀州藩主から将軍となり、幕府財政の改革と幕政の強化につとめ、享保の改革を行った。
とくがわよりのぶ【徳川頼宣】
[1602〜1671]江戸初期の紀州藩主。家康の一〇男。紀伊徳川家の祖。紀州55万石の領主となり、殖産興業・法典編纂に努めた。南竜公。→紀州家
とくがわよりふさ【徳川頼房】
[1603〜1661]江戸初期の水戸藩主。家康の一一男。水戸徳川家の祖。水戸28万石の領主となり、水戸藩を創始。威公。→水戸家
とくがわびじゅつかん【徳川美術館】
名古屋市東区にある美術館。尾州家19代徳川義親 (よしちか) により、昭和10年(1935)開館。尾州家に代々伝わる道具類などを収蔵。