・・・これに応ずる乗客の数々。いつの間にか船首をめぐらせる端艇小さくなりて人の顔も分き難くなれば甲板に長居は船暈の元と窮屈なる船室に這い込み用意の葡萄酒一杯に喉を沾して革鞄枕に横になれば甲板にまたもや汽笛の音。船は早や港を出るよと思えど窓外を覗く・・・ 寺田寅彦 「東上記」
上 政府が官選文芸委員の名を発表するの日は近きにありと伝えられている。何人が進んでその嘱に応ずるかは余の知る限りでない。余はただ文壇のために一言して諸君子の一考を煩わしたいと思うだけである。 政府は・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・しかしてこれに応ずる官能もどのくらい複雑になるか分りません。今日では目に見えぬもの、手に触れる事のできぬもの、あるいは五感以上に超然たるものがしだいに意識の舞台に上る事であろうと思いますから、まず気を長くして待っていたらよかろうと思います。・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・一言で概括したら、どうなるだろうと考えると、――固よりいろいろあり、また例のごとく長々と説明したくなるが――極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったものをやってるからだろ・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・ 一国の政は正しく人民の智愚に応ずるものなれば、人力をもって容易に料理すべからず。さりとて、政府もまた、よく人智の進歩に着目して油断すべからざるなり。政府と学者と直接に相対すること、今日の如くしては際限あるべからず。ゆえに、たがいに相遠・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・何故ならば、上述のような希望と意志とで生きようとさえすれば直ちに、響きの物に応ずるように、愛すべくよろこぶべき対手が出現するかというに、遺憾ながらこれも決して、波荒き現実の中で指定席は持っていないからである。恋愛に於て、理想とする対手にめぐ・・・ 宮本百合子 「成長意慾としての恋愛」
・・・ 女は二つ持って居ても、一方をどちらか殺す――教養だの、必要だの――対手の男に応ずる本能からだの。 彼女 はこういう女だ。 感じが敏く、又気が弱いところもあって、会う人、つき合う人にじき影響される。ああ思い、・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・又、最近二三年来の社会情勢の変化とそれに応ずる文化・文学の動向は、左翼文学の活動の形態を、これらの評論が執筆された時代におけるがままの姿で行うことを不可能ならしめている。 然しながら、そのような今日の到達点の内容こそ、実に積極的に評価さ・・・ 宮本百合子 「『文芸評論』出版について」
・・・ 元来閭は科挙に応ずるために、経書を読んで、五言の詩を作ることを習ったばかりで、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士というものに対しては、なぜということもなく尊敬の念を持っている。自分の会得せぬものに対する・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・それは青春期の肉体のみずみずしさとちょうど相応ずるものです。そうして年とともに自然に失われて、特殊の激変に逢わない限り、再び手に入れることのむずかしいものです。 この時期には内にあるいろいろな種子が力強く芽をふき始めます。ちょうど肉体の・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫