・・・婆さんは人が聞こうが聞くまいが口上だけは必ず述べますという風で別段厭きた景色もなく怠る様子もなく何年何月何日をやっている。 余は東側の窓から首を出してちょっと近所を見渡した。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀で仕切ら・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・勤む可き業を怠る可らずと言えば、勤ることも易し。嫁の役目と思えば勉強すべきなれども、其教訓いよ/\厳重にして之を守ることいよ/\窮窟なる其割合に、内実親愛の情はいよ/\冷却して内寒外温、遂に水臭き間柄となるは自然の勢にして、畢竟するに舅姑と・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・政治家たるものが、すでに学問受教の年齢をおわりて、政事に志し、また政事をとるにあたりては、自身に学問の心掛けはもとより怠るべからざるも、学校教育上のことは忘れたるが如くにこれを放却せざるべからず。学者が学問をもって畢生の業と覚悟したるうえは・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・にのぞみて知らざる事も多ければ、これにては行くすえ頼母しからずとて、ここにおいてか教育の説起り、新たに学者を作り出ださんことに熱心して、朝野ともに人を教うるに忙わしく、維新以来十数年の間、かつて少しも怠ることなし。 当初の考には、我が日・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・或は自身の病気又は衛生上の差支より乳母を雇うことあるも、朝夕の注意は決して怠る可らず。既に哺乳の時を過ぎて後も、子供の飲食衣服に心を用いて些細の事までも見遁しにせざるは、即ち婦人の天職を奉ずる所以にして、其代理人はなき筈なり。飲食衣服は有形・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・即ち我が徳義を円満無欠の位に定め、一身の尊きこと玉璧もただならず、これを犯さるるは、あたかも夜光の璧に瑕瑾を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠ることなく、穎敏に自ら衛りて、始めて私権を全うするの場合に至るべし。されば今、私権を保護するは全・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・そうとすれば、われわれ自身に対してもこの監視を怠ることは許されない。 まして、わが作家同盟が、その成員と活動の歴史性により過渡的制約性として、現在まだ少なからず小市民性的要素を包括している場合、その小市民性こそが困難な闘争に際して「左」・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・ 後から差す日は、ポカポカと体中に行き渡って、手足や瞼が甘えるように気怠るくなる。 見わたすと、彼方の湯元から立ち昇る湯気が、周囲の金茶色の木立ちの根元から梢へとほの白く這い上って、溶けかかる霜柱が日かげの叢で水晶のように光って見え・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・「もうお前、ひ怠るてひ怠るて歩けるか。」「たったそこまでやないか、向うまで行ったら締めたもんや。お前図々しい構えてりゃことがあるかい。」「堪えてくれ。もうもうお前、今夜あたりでも参るかもしれんのじゃ。」「そんなことを云うてら・・・ 横光利一 「南北」
・・・そう思うと、俄に、そのように見えて来る空しかった一ヶ月の緊張の溶け崩れた気怠るさで、いつか彼は空を見上げていた。 残念でもあり、ほっとした安心もあり、辷り落ちていく暗さもあった。明日からまたこうして頼りもない日を迎えねばならぬ――しかし・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫