・・・ 自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦、理性と信仰、――その他あらゆる天秤の両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語の good sense である。わたしの信ずるところによ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・自分ながら持って生まれた怯懦と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで・・・ 有島武郎 「片信」
・・・そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜好や安逸や怯懦は、彼から生きていこうとする意志をだんだんに持ち去っていた。しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にか佯りの・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・その過渡期であるこんにち、第二次大戦後の新しい不安と苦悩、勇気と怯懦とが、混合して噴出している。おそらくは、「二十五時」などの中にも。そして、われわれ日本の読者の悲劇は、ヨーロッパ現代文学の中でも、歴史様相に対して最も猜疑心の深い動機にたつ・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ まるで、私共が、急にアフリカの真中にでも移住したように、絶えず生命の危険に脅かされ、自分の手一つの力で衣食住の要求を充たして行かなければならない場合、人は怯懦でいられましょうか、他人により縋っていられましょうか。 日本のように温和・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・余りけばけばしい装飾の遠慮、無力を一種の愛らしさとしていた怯懦の消滅、自分の手と頭脳にだけ頼って、刻々変化する四囲の事情の中に生活を纏め計画する必要に迫られたことは、其時ぎりで失せる才覚以上のものを与えた。 種々の点から、今東京に居遺る・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・あるいはまた怯懦な知識階級の特色としての現実逃避であるとも見られるであろう。しかしこれらの観照は「悠々たる」観の世界を持つものとは言えない。人が悠々として観る態度を取り得るのは、人間の争いに驚かない不死身な強さを持つからである。著者はシナの・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・ここに迷妄と怯懦とのひそむことを忘れてはならない。一つの不幸を真に意義深く生かす所の力は、あくまでも自己自身についての微妙な、鋭敏な、厳格な認識と批評とである。事実の責任を他に嫁せずして自己に帰することである。我々は自己の運命を最もよく伸び・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・そのころの私には Sollen の重荷に苦しむ人が笑うべく怯懦に見えた。享楽に飽満しない人が恐ろしく貧弱に見えた。IやJやKが真に愛着に価する人間に見えたのも不思議ではない。四 何ゆえに私は彼らを憎んだか。 それは私が彼・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・それはおそらく自分の怯懦から出るのであろう。しかしこの怯懦は相手があたかも良心のごとく、自分に働きかけて来るから起こるのである。その前に出た時自分の弱点と卑しさとを恥じないではいられないゆえに起こるのである。私は夏目先生が気むずかしい癇癪持・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫