・・・ 新吉の勘は、その中年の男女に情痴のにおいをふと嗅ぎつけていた。情痴といって悪ければ、彼等の夫婦関係には、電報で呼び寄せて、ぜひ話し合わねばならぬ何かが孕んでいるに違いない。子供に飯を食べさせている最中に飛び出して来たという女のあわて方・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・夜、一代の柔い胸の円みに触れたり、子供のように吸ったりすることが唯一のたのしみで、律義な小心者もふと破れかぶれの情痴めいた日々を送っていたが、一代ももともと夜の時間を奔放に送って来た女であった。肩や胸の歯形を愉しむようなマゾヒズムの傾向もあ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・で情夫の石田吉蔵を殺害して、その肉体の一部を斬り取って逃亡したという稀代の妖婦の情痴事件が世をさわがせたのは、たしか昭和十一年五月であったが、丁度その頃私はカフェ美人座の照井静子という女に、二十四歳の年少多感の胸を焦がしていた。 美人座・・・ 織田作之助 「世相」
・・・女としての咲きかかった花の美しさ、自覚の底に揺れ揺れている娘の感覚と、女としての夕やけの美しさ、見事さ、愁いと知慧のまじりあった動揺の姿とが、どんな人生の絵をつくり出すかということは、情痴の一面からではあるがモウパッサンが「死よりも強し」の・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・小説を買って、カフェーのマダムをめぐる四人の男の情痴の世界を読むよりは、今日「大衆」の真面目な「大人」の心配は、子供をどうして育てるかにかかっているであろう。 文部省の教育方針が本当にかわれば、中学へ息子をやるにさえ、家庭の資産状態が調・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・営利映画会社では、より濃厚な情痴の場面を、と先をあらそっている。 次第に覚醒している日本の民衆が肚の底からそのためにたたかっているより明るい確かな社会生活建設の願いと努力、その間には裏切られ、又もりかえす民衆の歴史の熱意は「横になった令・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・谷崎や荷風のものは、情痴といわゆる遊びの世界にひかれて、文学そのものには全く縁のない闇屋が最近愛読しているということも話された。そのとき「闇屋の作家」という表現が与えられていてわたしを驚かした。 六七年前、インフレーションがはじまって、・・・ 宮本百合子 「文化生産者としての自覚」
・・・浅く軽い恋愛、または情痴的な破局的な恋愛、あるいは恋愛期だけで消滅して永年の結婚生活にたえぬ要素の上に立つ恋愛は、研究するまでもなく数も多いであろう。恋愛を夫婦愛の中核として見て、その発展と成熟との間におこる種々の問題こそ研究さるべきである・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
出典:青空文庫