・・・もし死に、嫌悪し、哀弔すべきものがあるとすれば、それは、多くの不慮の死、覚悟なきの死、安心なき死、諸種の妄執・愛着をたちえぬことからする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦をともなう。いまやわたくしは、これらの条件以外の死をとぐべき運・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 故に短命なる死、不自然なる死ちょうことは、必しも嫌悪し忘弔すべきでない、若し死に嫌忌し哀弔すべき者ありとせば、其は多くの不慮の死、覚悟なき死、安心なき死、諸種の妄執・愛着を断ち得ざるよりする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦を伴・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・清潔な憂悶の影がほしかった。私の腕くらいの太さの枝にゆらり、一瞬、藤の花、やっぱりだめだと望を捨てた。憂悶どころか、阿呆づら。しかも噂と事ちがって、あまりの痛苦に、私は、思わず、ああっ、と木霊するほど叫んでしまった。楽じゃないなあ、そう呟い・・・ 太宰治 「狂言の神」
哀愁の詩人ミュッセが小曲の中に、青春の希望元気と共に銷磨し尽した時この憂悶を慰撫するもの音楽と美姫との外はない。曾てわかき日に一たび聴いたことのある幽婉なる歌曲に重ねて耳を傾ける時ほどうれしいものはない、と云うような意を述・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・果して、文学の仕事に従うような核心的なものが自身の精神のうちにあるかどうかについて、若々しく憂悶する美しさもあっていいのではなかろうか。『文芸』の当選作「運・不運」を読み、選評速記を熟読して、深くその感に打たれた。 ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・が、真摯にとりあげる習慣を失った社会的矛盾の諸苦悩、無知の歎き、無権利な人間の高貴な憂悶などにおいて、西欧とアメリカの知識人をうった。彼らを快よく厳粛にし、彼らに人間的自覚のよろこびを与えた。この大戦中から、ソヴェト文学が世界にもちはじめた・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・さらに荷風は男女の恋愛をも、その忍び泣き、憂悶、不如意とくみ合わせた諧調で愛好するのであるから、元より女が、私は愛する権利がありますと叫んで、公然闘う姿を想像し得ない。これらの事情が、荷風の現実としては「婦人参政権の問題なぞもむしろ当然のこ・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・ それらの歌が、日本の近代文学のなかでは少年の内的生活の波瀾の描写としてよりは、青年期の憂悶としてとらえられていることも私たちの注目をひく。島崎藤村の「春」「桜の実の熟する時」はいずれも明治二十年代のロマンティシズムのなかに生れ二十歳前・・・ 宮本百合子 「若き精神の成長を描く文学」
出典:青空文庫