・・・彼女は良人の仕うちが癪にさわり、憤りたいのだけれども、話されることが可笑しいので、笑うまい笑うまいとしてつい失笑するのであった。 昼餐の時は其でよかった。けれども、もっと皿数の多い、従ってもっと楽しかるべき晩食になると、彼は殆ど精神的な・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・という子供のイデオロギー的な言葉よりさきに、校長、教頭などが金持、地主、官吏の子供らばかりをチヤホヤし、その親に平身低頭し、自身の地位の安全のためにこびる日常の現実に対して素朴な、しかし正当な軽蔑と憤りとを感じることから始る例が多い。 ・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・やっと生きて帰って来た世間が冷たいのも、もとはといえば、不幸な人々を引っぱり出した同じその強権によって、愚弄されて来たことを今日の憤りとしている世間の感情があるからである。 人民同士が互に不幸への憤りを見当違いにぶっつけ合って苦んでいる・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・シュレジアの地主と工場主と軍隊が流した織匠の血は、すべての人々の胸のうちに正義の憤りをもえたたせた。後年、ハウプトマンが有名な「織匠」にこの悲劇を描いた。ハウプトマンの「織匠」を観劇して、おさえられない感銘からケーテ・コルヴィッツが彼女の代・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・詩のジャンルとして諷刺詩というものがあり得るとか、あり得ないとかいう論議より先に、私共は実際生活の場面で屡々それに対して憤りの感情を激発され、しかもそれなりの言葉では云い現わせないという窮屈な事情に出くわしつづけているのです。一九三六年版の・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・ 怒り 人間としてわたくしは、怒りもする、憤りもする。そしてその怒りや憤りの感じを、芸術の中に再現する。 作家としてよりも先ず人間としてわたくしは――そういえば、画家だって俳優だって、怒る時には怒り、憤る時・・・ 宮本百合子 「感情の動き」
・・・ ストリンドベリーは、偽善に対する彼のはげしい憤りと女性の動物性への侮蔑から、下層の男の野性を、征服者として登場させている。こういう実例は、日本の現実の中にも少くない。しかしローレンスは、人間としての女性をはずかしめる者としてではなく、・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・』 そこでかれはだれもかれを信ずるものがないのに失望してますます怒り、憤り、上気あがって、そしてこの一条を絶えず人に語った。 日が暮れかかった。帰路につくべき時になった。かれは近隣のもの三人と同伴して、道すがら糸くずを拾った場所を示・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 勘次は彼の微笑から曽て覚えた嘲弄を感じると、憤りが胸に込み上げた。が、それを見抜かれるのが不快であった。彼は入口に下っていた筵戸を引きちぎって、「こんな邪魔物は要らんやろが。」とごまかした。「伯母やんに訊いてみよ、神棚へでも吊・・・ 横光利一 「南北」
・・・そうしてそれがその人たちのツマラないわがままから出ている場合でも、私を怨み憤ります。私は彼らの眼に冷淡な薄情な男として映るのです。 ことに私は時々何かの問題のためにひどい憂愁に閉じ込められる事があります。私はいくらあせってもこの問題を逃・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫