・・・そう云って、園子はそっと香水をにじませた手巾を鼻さきにあて、再び二階へ上った。きっちり障子を閉める音がした。「お前はむさんこに肥を振りかけるせに、あれは嫌うとるようじゃないかいの。」ばあさんは囁いた。「そうけえ。」「また、何ぞ笑・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・立ち上り、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水甕を手にとり、その水甕の水を、部屋の隅に在った小さい盥に注ぎ入れ、それから純白の手巾をご自身の腰にまとい、盥の水で弟子た・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・時に依って万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜まれたり、または嗚咽でもって不吉な餞を受けるのである。列車番号は一〇三。 番号からして気持が悪い。一九二五年からいままで、八年も経っているが、その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたこと・・・ 太宰治 「列車」
・・・眼を拭く手巾の色が白く見えた。しかし身体には更紗のような洋服を着ていた。この女を見た時に、悲しいのは自分ばかりではないのだと気がついた。 ある晩甲板の上に出て、一人で星を眺めていたら、一人の異人が来て、天文学を知ってるかと尋ねた。自分は・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・女は白き手巾で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台ぐらいの大きさで前に鉄の環が着いている。台の前部に藁が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 飛ぶものは雲ばかりなり石の上 芭 蕉 石の碑が見えるところまで来ると、詮吉は真白い手巾を出して鼻を覆うた。「ここより、却って来るまでの方が臭かったわ」「そう?……いや臭い臭い」 詮吉は一旦はなした手巾をまた・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・おどけながら、父は頻りに手巾を出して鼻をかんだ。その度に、やっと笑っている私は、幾度か歔り上げて泣き出しそうに成った。 翌日、御骨は羽二重の布に包まれて戻って来た。それを広間の祭壇に祀り、向い合って坐っているうちに、私は生きている祖母と・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・大きいものは一まとめに袋に入れて、朝来ることに定めてある洗濯屋に渡し、小さい手巾とか、婦人用の襟飾、絹のブラウズと云うようなものは、皆、家で洗い、それが、乾くまで、必要な箇所を訪問します。四時頃には帰宅し、夕飯の準備をする迄、一時間半もかか・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・白粉のはげないように、小さい手巾をあてながら、自分でどうしたのか分らない涙をこぼした。 彼女は、やたらに今斯うやって自分を遠い東京へつれて行く夫に対して、可愛くてたまらない心と、にくらしい、両手で、ガリガリとかっさいてやりたいような憎嫌・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・見ると、父上の手にも手巾がある。――母は、緑色のドンスを張ったルイ風の椅子に腰をかけ、輝やいた眼を彼方に逸せ、しきりに、白い足袋の爪先をピクピク、ピクピクと神経的に動かして居られる。 自分は黙って、窓際の長卓子の彼方に坐り、正面から三人・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫