・・・現に芸妓というようなものは、私はあまり関係しないからして精しいことは知らんけれどもとにかく一流の芸妓とか何とかなるとちょっと指環を買うのでも千円とか五百円という高価なものの中から撰取をして余裕があるように見える。私は今ここにニッケルの時計し・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・バロンと名乗るものの城を構え濠を環らして、人を屠り天に驕れる昔に帰れ。今代の話しではない。 何時の頃とも知らぬ。只アーサー大王の御代とのみ言い伝えたる世に、ブレトンの一士人がブレトンの一女子に懸想した事がある。その頃の恋はあだには出来ぬ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・お客から預かッていた指環を借りられたんだよ。明日の朝までとお言いだから貸してやッたら、それッきり返さないのさ。お客からは責められるし、吉里さんは返してくれないし、私しゃこんなに困ッたことはないよ。今朝催促したら、明日まで待ッてくれろッてお言・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 柏の木どもは大王を正面に大きな環をつくりました。 お月さまは、いまちょうど、水いろの着ものと取りかえたところでしたから、そこらは浅い水の底のよう、木のかげはうすく網になって地に落ちました。 画かきは、赤いしゃっぽもゆらゆら燃え・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ 空には今日も青光りが一杯に漲ぎり、白いまばゆい雲が大きな環になって、しずかにめぐるばかりです。みんなは又叫びました。「又三郎、又三郎、どうと吹いて降りで来。」 又三郎は来ないで、却ってみんな見上げた青空に、小さな小さなすき通っ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 生活の環がひろがり高まるにつれて女の心も男同様綺麗ごとにすんではいないのだし、それが現実であると同時に、更にそれらの波瀾の中から人間らしい心情に到ろうとしている生活の道こそ真実であることを、自分にもはっきり知ることが、女の心の成長のた・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・あれをよむと、おそろしいような生々しさで、子供だったゴーリキイの生きていた環境の野蛮さ、暗さ、人間の善意や精力の限りない浪費が描かれている。その煙の立つような生存の渦のなかで、小さいゴーリキイは、自分のまわりにどんな一冊の絵本ももたなかった・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・そして友達と雑談をするとき、「小説家なんぞは物を知らない、金剛石入の指環を嵌めた金持の主人公に Manila を呑ませる」なぞと云って笑うのである。石田が偶に呑む葉巻を毛布にくるんで置くのは、火薬の保存法を応用しているのである。石田はこう云・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・右左に帆木綿のとばりあり、上下にすじがね引きて、それを帳の端の環にとおしてあけたてす。山路になりてよりは、二頭の馬喘ぎ喘ぎ引くに、軌幅極めて狭き車の震ること甚しく、雨さえ降りて例の帳閉じたれば息籠もりて汗の臭車に満ち、頭痛み堪えがたし。嶺は・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・紅の襞は鋭い線を一握の拳の中に集めながら、一揺れ毎に鐶を鳴らして辷り出した。彼は枕を攫んで投げつけた。彼はピラミッドを浮かべた寝台の彫刻へ広い額を擦りつけた。ナポレオンの汗はピラミッドの斜線の中へにじみ込んだ。緞帳は揺れ続けた。と彼は寝台の・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫