・・・とか何とか断っている。按ずるに無条件の美人を認めるのは近代人の面目に関るらしい。だから保吉もこのお嬢さんに「しかし」と云う条件を加えるのである。――念のためにもう一度繰り返すと、顔は美人と云うほどではない。しかしちょいと鼻の先の上った、愛敬・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・ 地誌を按ずるに、摩耶山は武庫郡六甲山の西南に当りて、雲白く聳えたる峰の名なり。山の蔭に滝谷ありて、布引の滝の源というも風情なるかな。上るに三条の路あり。一はその布引より、一は都賀野村上野より、他は篠原よりす。峰の形峻厳崎嶇たりとぞ。し・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・さすがに剛情我慢の井上雷侯も国論には敵しがたくて、終に欧化政策の張本人としての責を引いて挂冠したが、潮の如くに押寄せると民論は益々政府に肉迫し、易水剣を按ずる壮士は慷慨激越して物情洶々、帝都は今にも革命の巷とならんとする如き混乱に陥った。・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・トドの詰りを秋子は見届けしからば御免と山水と申す長者のもとへ一応の照会もなく引き取られしより俊雄は瓦斯を離れた風船乗り天を仰いで吹っかける冷酒五臓六腑へ浸み渡りたり それつらつらいろは四十七文字を按ずるに、こちゃ登り詰めたるやまけの「ま・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 服部南郭の不忍池畔に住んだのは其文集について按ずるに享保初年の頃で、いくばくもなくして本郷に移り又芝に移った。南郭文集初編巻の四に即事二首篠池作なるものを載せている。其一に曰く「一臥茅堂篠水陰。長裾休レ曳此蕭森。連城抱レ璞多時泣。通邑・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 跋文は香以が自ら草している。その他数人の歌俳及古今体狂詩が添えてある。 按ずるに乙卯は竜池の歿する前年で、香以は三十四歳になっていた。わたくしの芥川氏に聞いた事はほぼ此に尽きている。 わたくしに香以の事を語った人は、独り芥川氏・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫