一 ……雨はまだ降りつづけていた。僕等は午飯をすませた後、敷島を何本も灰にしながら、東京の友だちの噂などした。 僕等のいるのは何もない庭へ葭簾の日除けを差しかけた六畳二間の離れだった。庭には何もな・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ Kは寄宿舎の硝子窓を後ろに真面目にこんなことを尋ねたりした、敷島の煙を一つずつ器用に輪にしては吐き出しながら。 四 彼は六高へはいった後、一年とたたぬうちに病人となり、叔父さんの家へ帰るようになった。病名・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・彼は敷島をふかしながら、当然僕等の間に起る愛蘭土の作家たちの話をしていた。「I detest Bernard Shaw.」 僕は彼が傍若無人にこう言ったことを覚えている、それは二人とも数え年にすれば、二十五になった冬のことだった。…・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・自分は書きかけの小説を前に、何本も敷島へ火を移した。 Sさんは午前に一度、日の暮に一度診察に見えた。日の暮には多加志の洗腸をした。多加志は洗腸されながら、まじまじ電燈の火を眺めていた。洗腸の液はしばらくすると、淡黒い粘液をさらい出した。・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・ 父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来た東京新聞の地方版をいじくりまわしていた。北海道の記事を除いたすべては一つ残らず青森までの汽車の中・・・ 有島武郎 「親子」
・・・子をなさぬ二人がなかのめぐし子と守りてぞ行かな敷島の道 これは子どものないある歌人の詠だ。 ブース夫婦、ガンジー夫婦、リープクネヒト夫婦、孫逸仙と宋慶齢女史、乃木大将夫婦これらは、子どもの有無はともかく同じ公なる道、事業・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ これはこの木像を見て私の作った歌である。 ある人を愛して結ばれやがてやむなく別離したとき「今度はまたよりよき人が与えられるからいい」というふうに思うことはできない。敷島の日本の国に人二人在りとし思はば何か嘆かむ・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・なぜ、敷島なぞを吸うのだろう。両切の煙草でないと、なんだか、不潔な感じがする。煙草は、両切に限る。敷島なぞを吸っていると、そのひとの人格までが、疑わしくなるのだ。いちいち天井を向いて煙を吐いて、はあ、はあ、なるほど、なんて言っている。いまは・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ 今の朝日敷島の先祖と思われる天狗煙草の栄えたのは日清戦争以後ではなかったかと思う。赤天狗青天狗銀天狗金天狗という順序で煙草の品位が上がって行ったが、その包装紙の意匠も名に相応しい俗悪なものであった。轡の紋章に天狗の絵もあったように思う・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・積極的活力の発現の方から見てもこの波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣りの男が旨そうに埃及煙草を喫んでいるとやっぱりそっちが喫みたくなる。また喫んで見ればその方が旨いに違ない。しまいには敷島などを吹かす・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫