・・・垣の内、新緑にして柳一本、道を覗きて枝垂る。背景勝手に、紫の木蓮あるもよし。よろず屋の店と、生垣との間、逕をあまして、あとすべて未だ耕さざる水田一面、水草を敷く。紫雲英の花あちこち、菜の花こぼれ咲く。逕をめぐり垣に添いて、次第に奥深き処、孟・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・しかるに雪が解けて、春となって、いろ/\の木が芽ぐんだ時分、その杉の木も新緑を芽ぐんだのでした。二たび子供等は、校庭へ出て遊ぶようになりました。 その時、年とった体操の教師が、この木の下に立って、さも痛ましそうにして、皮の剥がれた幹を撫・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・ 春になって、花が咲いても、初夏が至って、新緑に天地はつゝまれても、心から、自然を味い、また、愛する余裕を持たず、その慈愛心もなく、いたずらに、虚名につながれている輩の如き、いかに卑しいことか。私は、いまにして、生活の意義を考えるのであ・・・ 小川未明 「自由なる空想」
目の醒めるような新緑が窓の外に迫って、そよ/\と風にふるえています。私は、それにじっと見入って考えました。なんという美しい色だ。大地から、ぬっと生えた木が、こうした緑色の若芽をふく、このことばかりは太古からの変りのない現象であって、人・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方ま・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・左右の岸は新緑の光に輝き、仰げば梢と梢との間には大空澄みて蒼く高く、林の奥は日の光届きかねたれど、木の間木の間よりもるる光はさまざまの花を染め出だし、涼しき風の枝より枝にわたるごとに青き光と黒き影は幾千万となき珠玉の入り乱れたらんごとく、岸・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・生田花世氏がここへ来て、あんたはよいところでお死にになったと夫の遺骸に対して云ったと、私が詩碑の傍に立って西の方へ遠く突き出ている新緑の岬や、福部島や、近海航路の汽船が通っている海に見入っていると、丘の畑へ軽子を背負ってあがって行く話ずきら・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・庭の内も今は草木の盛な時で、柱に倚凭って眺めると、新緑の香に圧されるような心地がする。熱い空気に蒸される林檎の可憐らしい花、その周囲を飛ぶ蜜蜂の楽しい羽音、すべて、見るもの聞くものは回想のなかだちであったのである。其時自分は目を細くして幾度・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・ 二人が塵払の音のする窓の外を通った時は、岩間に咲く木瓜のように紅い女の顔が玻璃の内から映っていた。 新緑の頃のことで、塾のアカシヤの葉は日にチラチラする。薮のように茂り重なった細い枝は見上るほど高く延びた。 高瀬と学士とは・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ハクランカイをごらんなさればよろしいに、と南国訛りのナポレオン君が、ゆうべにかわらぬ閑雅の口調でそうすすめて、にぎやかの万国旗が、さっと脳裡に浮んだが、ばか、大阪へ行く、京都へも行く、奈良へも行く、新緑の吉野へも行く、神戸へ行く、ナイヤガラ・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫