・・・この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、粥を煮るやら、いろいろ経営してくれたそうでございます。そこで、娘も漸く、ほっと一息つく事が出来ました。」「私も、やっと安心し・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・其の後は家に一人のこって居たけれ共夫となるべき人もないので五十余歳まで身代のあらいざらいつかってしまったのでしょうことなしに親の時からつかわれて居た下男を夫にしてその土地を出て田舎に引き込んでその日暮しに男が犬をつって居ると自分は髪の油なん・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・シベリアでの経験であるが、戦闘であることを思うと、どうしても気持が荒々しくなり、投げやりになり、その日暮しをするようになる。家から、手紙に札を巻きこんで送られて、金が手に這入ると、酒を飲み、女を買いに行く。明日の生命も分らないということが常・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・全くのその日暮し、その時勝負でやっているのだろうか。あながちそうでもないようである。事実、自分の日常生活を支配しているものは、やっぱり陳い陳い普通道徳にほかならない。自分の過去現在の行為を振りかえって見ると、一歩もその外に出てはいない。それ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・素寒貧のその日暮しだ。役に立ちやしないんだ。けれども、小生と雖も、貴兄の幸福な結婚を望んでいる事に於いては人後に落ちないつもりだ。なんでも言いつけてくれ給え。小生は不精だから、人の事に就いて自動的には働かないが、言いつけられた限りの事は、や・・・ 太宰治 「佳日」
・・・私ひとりが過去に於いて、ぶていさいな事を行い、いまもなお十分に聡明ではなく、悪評高く、その日暮しの貧乏な文士であるという事実のために、すべてがこのように気まずくなるのだ。「景色のいいところですね。」妻は窓外の津軽平野を眺めながら言った。・・・ 太宰治 「故郷」
・・・なまけてばかりいるので収入も心細く、その日暮しの有様です。どんなものを書いているのか、私は、主人の書いた小説は読まない事にしているので、想像もつきません。あまり上手でないようです。 おや、脱線している。こんな出鱈目な調子では、とても紀元・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・ことに、八年前ある事情で生家から離れ、自分ひとりで、極貧に近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひがみも強くなった様子である。ひとに侮辱をされはせぬかと、散りかけている枯葉のように絶えずぷるぷる命を賭けて緊張している。やり切・・・ 太宰治 「水仙」
・・・も以後はいっさい口にせず、ただ黙々と相変らずの貧しいその日暮しを続け、親戚の者たちにはやはり一向に敬せられなかったが、格別それを気にするふうも無く、極めて平凡な一田夫として俗塵に埋もれた。自註。これは、創作である。支那のひとたちに読・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ ともかくも、こういう大切な観測事業をその日暮しその年暮しになりやすい恐れのある官僚政治の管下から完全に救出して、もう少し安定な国家の恒久的機関を施定することが刻下の急務ではないかと思われる。そうすれば凶作問題なども自ずから解決の途につ・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
出典:青空文庫