・・・義弟が原子爆弾の犠牲となったため田舎へ帰ったが、急な帰京が必要となって、呉線の須波―三原の間、姫路の二つ三つ先の駅から明石まで、徒歩連絡した。須波と三原との間は雨の降りしきる破壊された夜道を、重い荷を背負った男女から子供までが濡れ鼠となって・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
・・・井の底にくぐり入って死んだのは、忠利が愛していた有明、明石という二羽の鷹であった。そのことがわかったとき、人々の間に、「それではお鷹も殉死したのか」とささやく声が聞えた。それは殿様がお隠れになった当日から一昨日までに殉死した家臣が十余人あっ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それから西宮、兵庫を経て、播磨国に入り、明石から本国姫路に出て、魚町の旅宿に三日いた。九郎右衛門は伜の家があっても、本意を遂げるまでは立ち寄らぬのである。それから備前国に入り、岡山を経て、下山から六月十六日の夜舟に乗って、いよいよ四国へ渡っ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・吉原では久喜万字屋の明石と云うお職であった。 竜池が遊ぶ時の取巻は深川の遊民であった。桜川由次郎、鳥羽屋小三次、十寸見和十、乾坤坊良斎、岩窪北渓、尾の丸小兼、竹内、三竺、喜斎等がその主なるものである。由次郎は後に吉原に遷って二代目善孝と・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫