・・・大きな床の間の三幅対も、濃い霧の中に、山が遥に、船もあり、朦朧として小さな仙人の影が映すばかりで、何の景色だか、これは燈が点いても判然分らなかったくらいである。が、庭は赤土に薄日がさして、塔形の高い石燈籠に、苔の真蒼なさびがある。ここに一樹・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ トその垣根へ乗越して、今フト差覗いた女の鼻筋の通った横顔を斜違いに、月影に映す梅の楚のごとく、大なる船の舳がぬっと見える。「まあ、可いこと!」 と嬉しそうに、なぜか仇気ない笑顔になった。 七「池があ・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・そして若し、別の探照燈で映すならば、現実は、全然ちがった姿に反映するかもしれないのだ。芥川龍之介のやはり旅順攻囲戦争に取材した「将軍」をよんでみるならば、それはすぐ分る。芥川の用いた探照燈は、「肉弾」に用いられてゐる探照燈とはちがうのだ。だ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・曇った鏡が人を映すように男は鈍々と主人を見上げた。年はまだ三十前、肥り肉の薄皮だち、血色は激したために余計紅いが、白粉を透して、我邦の人では無いように美しかった。眼鼻、口耳、皆立派で、眉は少し手が入っているらしい、代りに、髪は高貴の身分の人・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・酒はその醸造主のひとがらを映すものと言われている。鹿間屋の酒はあくまでも澄み、しかもなかなかに辛口であった。酒の名は、水車と呼ばれた。子供が十四人あった。男の子が六人。女の子が八人。長男は世事に鈍く、したがって逸平の指図どおりに商売を第一と・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ために従来のステュジオが役に立たなくなるとか、実際の雑音はまるで別物に変わるから適当な擬音を捜すとか、動き回る役者の声をどうして録音するかというようないろいろの問題が、単なる技術上だけの問題でなくて、映すべき素材の上に制限を及ぼすことになる・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・頭の上で両手を交差して、一点の弧光から発する光でスクリーンに影を映すだけのことであるが、それは実に驚くべき入神の技であった。小猿が二匹向かい合って蚤をとり合ったりけんかをしたりするのが、どうしても本物としか思われないのに、それはやはりただな・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・私はこれを、自己自身によってある実在が、自己の中に自己を映す無限の過程という。直観ということは、単に過程が否定せられて、一度的に最終の真理が見られるということではない。それは極めて幼稚な神秘的な考である。芸術的直観といえども、そうしたもので・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・この鏡と手鏡だけが、私の朝夕の顔、泣いた顔、うれしそうにしている時の顔を映すものなのだが、考えてみれば姿見だの鏡台だのというものがその部屋に目立たない女の暮しの数も、この頃は見えないところで随分殖えて来ているのではないかしら。見えないところ・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・ このように文化が戦争の宣伝具とされた時期、いわゆる純文学はどういう過程を経たかと云えば、周知のとおり、人間本来のこころを映す文学は抹殺され、条理の立った批判は封ぜられ、遂に文化という人間だけがもっている精神活動の成果をあらわす高貴な字・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
出典:青空文庫