・・・ 代官は天主のおん教は勿論、釈迦の教も知らなかったから、なぜ彼等が剛情を張るのかさっぱり理解が出来なかった。時には三人が三人とも、気違いではないかと思う事もあった。しかし気違いでもない事がわかると、今度は大蛇とか一角獣とか、とにかく人倫・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・私は先達子爵と会った時に、紹介の労を執った私の友人が、「この男は小説家ですから、何か面白い話があった時には、聞かせてやって下さい。」と頼んだのを思い出した。また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎に釣りこまれて・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・踝くらいまでより水の来ない所に立っていても、その水が退いてゆく時にはまるで急な河の流れのようで、足の下の砂がどんどん掘れるものですから、うっかりしていると倒れそうになる位でした。その水の沖の方に動くのを見ていると眼がふらふらしました。けれど・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・尤も、時にはこっちから、故とおいでの儀を御免蒙る事がある。物干へ蒲団を干す時である。 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持になって、ふっくりと、蒲団に団欒を試みるのだから堪らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・うわさの恋や真の恋や、家の内ではさすがに多少の遠慮もあるが、外で働いてる時には遠慮も憚りもいらない。時には三丁と四丁の隔たりはあっても同じ田畝に、思いあっている人の姿を互いに遠くに見ながら働いている時など、よそ目にはわからぬ愉快に日を暮らし・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・拠処なく物を云うにも、今までの無遠慮に隔てのない風はなく、いやに丁寧に改まって口をきくのである。時には僕が余り俄に改まったのを可笑しがって笑えば、民子も遂には袖で笑いを隠して逃げてしまうという風で、とにかく一重の垣が二人の間に結ばれた様な気・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・尤も病身のために時には気むずかしくなられたのは事実だろう。子供のことには好く心を懸けられる性質で、日曜日には子供がめいめいの友達を伴れ込んで来るので、まるで日曜幼稚園のようだと笑っていられた。 作から見れば夏目さんはさぞかし西洋趣味の人・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・けれどまた、己惚れをすっかり失ってしまって、うろうろすることも時にはある。鼻の先にぶら下げていた眼鏡を、群衆の波にもまれているうちに失ってしまって間誤まごする人のようになってしまうのだ。そんな時、僕は自分の視力に頼るほかはないのだが、幸い僕・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・陰欝な眼をぎょろつかせ、落ち込んだ鈍い光を投げながら、あたり構わずいやな咳をまき散らすからだ。時には手帛を赤く染め、またはげしい息切れが来て真青な顔で暗い街角にしゃがんだまま身動きもしない。なにか動物的な感覚になって汚いゴミ箱によりかかった・・・ 織田作之助 「道」
・・・午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が遅いから自然とおくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。うどんは一寸位に切って居りました。 食・・・ 梶井久 「臨終まで」
出典:青空文庫