・・・いくらか似た音を求めれば、製材所の丸鋸で材木を引き割るあの音ぐらいなものであろう。先年小田原の浜べで大波の日にヘルムホルツの共鳴器を耳に当て波音の分析を試みたことがあったが、かなりピッチの高い共鳴器で聞くとチリチリチリといったように一秒間に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 材木の切り出し作業や製紙工場の光景でも、ちょっと簡単な地図でも途中に插入して具体的の位置所在を示しならびに季節をも示してくれたら、興味も効能も幾層倍するであろう。しかるに、その肝心な空間的時間的な座標軸を抜きにして、いたずらに縹渺たる・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・このあたりまで来ると、運河の水もいくらか澄んでいて、荷船の往来もはげしからず、橋の上を走り過るトラックも少く、水陸いずこを見ても目に入るものは材木と鉄管ばかり。材木の匂を帯びた川風の清凉なことが著しく感じられる。深川もむかし六万坪と称えられ・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・道端に竹と材木が林の如く立っているのに心付き、その陰に立寄ると、ここは雪も吹込まず風も来ず、雪あかりに照された道路も遮られて見えない別天地である。いつも継母に叱られると言って、帰りをいそぐ娘もほっと息をついて、雪にぬらされた銀杏返の鬢を撫で・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・「一、山男紫紺を売りて酒を買い候事、山男、西根山にて紫紺の根を掘り取り、夕景に至りて、ひそかに御城下(盛岡へ立ち出で候上、材木町生薬商人近江屋源八に一俵二十五文にて売り候。それより山男、酒屋半之助方へ参り、五合入程の瓢箪を差出し、こ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
共学 期待はずれた今度の内閣改造の中で僅かに生彩を保つのは安倍能成氏の文部大臣であるといわれる。朽木の屋台にたった一本、いくらかは精のある材木が加えられたところで、その大屋の傾くことを支え切れるもので・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・ 私はたのしみの為にわざと返事を明かにせず行くと、右手の石や材木や乱脈の上に「前川、この先に移転仕り候」と大きな看板が出ていた。「よかったわね」「よかった」「ああこの家なんですか……」 私共はすぐ前に河を見晴す座敷に通っ・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ こういう危急の時に、爪先も濡らさず岸に立って、諸君、まず、橋を作る材木を出し給え。マァ、何の彼のいわず、材木だけは、ともかく僕にわたし給え。いずれ橋はかけてやると、筋の通った将来の計画も誠意もなしに演説している者を、誰が対手にするでし・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・岸の石垣にぴったり寄せて、河原に大きい材木がたくさん立ててあります。荒川の上から流して来た材木です。昼間はその下で子供が遊んでいますが、奥の方には日もささず、暗くなっている所があります。そこなら風も通しますまい。わたしはこうして毎日通う塩浜・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・しまいには紫川の東の川口で、旭町という遊廓の裏手になっている、お台場の址が涼むには一番好いと極めて、材木の積んであるのに腰を掛けて、夕凪の蒸暑い盛を過すことにした。そんな時には、今度東京に行ったら、三本足の床几を買って来て、ここへ持って来よ・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫