・・・ ハリコフに於けるこの国際革命作家大会には、松山という日本からのプロレタリア作家代表も出席した。「ラップ」は、国内のプロレタリア文学戦線強化のために、ソヴェト同盟内の各連邦におけるプロレタリア文学の運動の情勢に熱心な注意を向けはじめ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・ これらに対する批判的追補として『プロレタリア文化』三月特輯号に掲載された同志松山、坂井の論文は、前者は全文化運動の新らしい活動家のタイプ、指導的理論家としての同志小林の輝やかしい発展を跡づけることによって、後者は前衛作家同志小林の全貌・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価に寄せて」
・・・十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園したときからもう病状が軽くなくて、あまり運動などもできず、いつも机に向って本をよんだり、作文をかいたりしていた。その作文は、療養所の発刊している『南風』に・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・それから西条に二日、小春、今治に二日いて、松山から道後の温泉に出た。ここへ来るまでに、暑を侵して旅行をした宇平は留飲疝通に悩み、文吉も下痢して、食事が進まぬので、湯町で五十日の間保養した。大分体が好くなったと云って、中大洲を二日捜して、八幡・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫