・・・いよいよ出かける時になって始めて中村先生の声がすぐ側に聞えた、松本君の元気のいい声も聞えた。車がそろそろ動き出すとついて来る人のいろいろの足音が聞え出した。セルロイドの窓から見える空は実に真青で美しかった。高い梢の枯枝が時々この美しい空に浮・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・ 唯不幸にして自分は現代の政治家と交らなかったためまだ一度もあの貸座敷然たる松本楼に登る機会がなかったが、しかし交際と称する浮世の義理は自分にも炎天にフロックコオトをつけさせ帝国ホテルや精養軒や交詢社の階段を昇降させた。有楽座帝国劇場歌・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・落語家で思い出したが、僕の故家からもう少し穴八幡のほうへ行くと、右側に松本順という人の邸があった。あの人は僕の子供の時分には時の軍医総監ではぶりがきいてなかなかいばったものだった。円遊やその他の落語家がたくさん出入りしておった。 ――ざ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 当時の哲学科の学生には、私共の上のクラスには、両松本や米山保三郎などいう秀才がおり、二年後のクラスには桑木巌翼君をはじめ姉崎、高山などいわゆる二十九年の天才組がいた。有名な夏目漱石君は一年上の英文学にいたが、フローレンツの時間で一緒に・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・これは松本街道なのである。翌日猿が馬場という峠にかかって来ると、何にしろ呼吸病にかかっている余には苦しい事いうまでもない。少しずつ登ってようよう半腹に来たと思う時分に、路の傍に木いちごの一面に熟しているのを見つけた。これは意外な事で嬉しさも・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・そして現在も決して偏見がとりのぞかれたとはいえない。松本治一郎氏の天皇制に対するたたかいとパージがよくその消息を告げている。 今日の大学は、どのようなアカデミアであり、アカデミズムをもっているだろうか。ことあたらしく観察するまでもなく、・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・夜、岩本さんと、村川、松本氏の送別会へ行く。 二十二日 Washington Birthday 一宮氏のところへ行ってかえりに S. C. によって、Aの帰って来たのに送られて Whittier にかえる。 二十三日 日曜日。一・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・ 国内における文化統制の具体化は、国際文化振興会の成立以前、既に前年松本学氏が警保局長であった当時、故直木三十五氏や三上於菟吉、佐藤春夫、吉川英治諸氏と提携して「文芸院」設立を目論んだ時から端を発している。当時、既に正宗白鳥氏その他が現・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 松本という予審判事は男の打ちとけた態度に好感をもったと書かれているが、読者は困惑と不快との感情にのこされるのである。 木々高太郎氏は、この小説の中で、現実と理性、合理性と現実というものを甚しい分裂、対立において示そうとしている。理・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
日本原理の上に樹つ新日本諸学を建設し、全国民に日本文化の神髄を深く自覚せしめるための日本文化中央連盟が、松本学氏などを中心として実業家、役人、学校経営者などによって結成された。百万円をかけて、日本文化大観を編纂するのもよい・・・ 宮本百合子 「世界一もいろいろ」
出典:青空文庫