はやしふぼう【林不忘】
[1900〜1935]小説家。新潟の生まれ。本名、長谷川海太郎。谷譲次・牧逸馬 (まきいつま) の筆名でも作品を発表。時代小説「丹下左膳 (たんげさぜん) 」のほか、谷譲次名義の「テキサス無宿」、牧逸馬名義の家庭小説「地上の星座」などがある。
はやしふみこ【林芙美子】
[1903〜1951]小説家。山口の生まれ。多くの職を転々としながら、自伝的小説「放浪記」で文壇に出た。一貫して庶民の生活を共感をこめて描いた。他に小説「清貧の書」「晩菊」「浮雲」「めし」、詩集「蒼馬を見たり」など。
はやしほうこう【林鳳岡】
[1645〜1732]江戸中期の儒学者。江戸の人。鵝峰の次男。名は信篤。徳川家綱から吉宗までの5代の将軍に仕えた。林家学問所が湯島に移され、官学の学問所となったとき、大学頭 (だいがくのかみ) に任ぜられた。以後、大学頭は代々林家の世襲となった。
はやしまたしち【林又七】
[1613?〜1699?]江戸前期の装剣金工家。尾張の人。本名、清三郎、または重治。肥後の加藤家・細川家に仕える。巧みな透かしと布目象眼により肥後鐔 (つば) の完成者とされ、林派(春日派)の祖となった。
はやしまりこ【林真理子】
[1954〜 ]小説家・エッセイスト。山梨の生まれ。コピーライターを経て、現代女性の心理に焦点を当てたエッセーで人気を得る。小説では官能的な恋愛ものを多く手がける。「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞受賞。他に「星影のステラ」「不機嫌な果実」、エッセー集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」など。
はやしゆうぞう【林有造】
[1842〜1921]政治家。高知の生まれ。板垣退助らと立志社を創立。西南戦争では武器購入に奔走したが、発覚して投獄。国会開設後、衆議院議員、逓相・農商務相を歴任。自由党・政友会に所属。
はやしらざん【林羅山】
[1583〜1657]江戸初期の儒学者。幕府儒官林家の祖。京都の人。名は忠・信勝。法号、道春。朱子学を藤原惺窩 (ふじわらせいか) に学び、徳川家康から家綱まで4代の将軍に侍講として仕えた。上野忍岡の家塾は、のちの昌平坂学問所の起源となった。著「羅山文集」など。
はやしひかる【林光】
[1931〜2012]作曲家。東京の生まれ。尾高尚忠に師事。「オペラシアターこんにゃく座」の芸術監督をつとめ、日本語オペラの発展に寄与した。新藤兼人監督の作品を中心に、映画音楽の世界でも活躍。代表作に、合唱曲「原爆小景」など。
はやしおおき【林大】
[1913〜2004]国語学者。東京の生まれ。国立国語研究所所長、国語審議会委員を務め、常用漢字表の制定や現代仮名遣いの改定など多くの国語政策に携わった。編著「日本語百科大事典」ほか。
はやしかずお【林和男】
[1923〜2009]野球指導者。東京の生まれ。米国に本部のあるリトルリーグを日本に紹介し、日本リトルリーグの創設に尽力。昭和42年(1967)には監督としてチームを率い、世界選手権大会で優勝。後年は全日本リトル野球協会の会長を務めるなど、リトルリーグの発展に寄与した。