・・・「きものも、灰塚の森の中で、古案山子を剥いだでしゅ。」「しんびょう、しんびょう……奇特なや、忰。……何、それで大怪我じゃと――何としたの。」「それでしゅ、それでしゅから、お願いに参ったでしゅ。」「この老ぼれには何も叶わぬ。い・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 古蓑が案山子になれば、茶店の骸骨も花守をしていよう。煙は立たぬが、根太を埋めた夏草の露は乾かぬ。その草の中を、あたかも、ひらひら、と、ものの現のように、いま生れたらしい蜻蛉が、群青の絹糸に、薄浅葱の結び玉を目にして、綾の白銀の羅を翼に・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・一所に……ここで飲んでいたら、いくらか案山子になるだろう。……」「――結構でございます。……もう台所は片附きました、追ッつけ伺います。――いたずらな餓鬼どもめ。」 と、あとを口こごとで、空を睨みながら、枝をざらざらと潜って行く。・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・一方が広々とした刈田との境に、垣根もあったらしいが、竹も塀もこわれごわれで、朽ちた杭ばかり一本、せめて案山子にでも化けたそうに灰色に残って、尾花が、ぼうと消えそうに、しかし陽を満々と吸って、あ、あ、長閑な欠伸でも出そうに、その杭に凭れている・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・その看板だが、案山子の幟に挙げたようでおかしい、と思って、ぼんやり。――もっとも私も案山子に似てはいますが、(微笑一枚、買いたいけれども、荷になると思って見ていますと、成程、宿の男が通りかかりました。夫人 ええ、そうして……画家 あ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・行ると、案山子を抜いて来たと叱られようから。 婦は、道端の藪を覗き松の根を潜った、竜胆の、茎の細いのを摘んで持った。これは袂にも懐にも入らないから、何に対し、誰に恥ていいか分らない。「マッチをあげますか。」「先ず一服だ。」 ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・、銀の鎖の末は幽なる空に消えゆく雪の峰など、みな青年が心を夢心地に誘いかれが身うちの血わくが常なれど、今日は雲のゆきき早く空と地と一つになりしようにて森も林もおぼろにかすみ秋霧重く立ちこむる野面に立つ案山子の姿もあわれにいずこともなく響く銃・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・死の事大ちょうことは、太古より知恵ある人が建てた一種の案山子である、地獄・極楽の簑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである、漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之を看れば何でもないのである。 私は必し・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・この映画に現われて来る登場人物のうちで誰が一番幸福な人間かと思って見ると、天晴れ衆人の嘲笑と愚弄の的になりながら死ぬまで騎士の夢をすてなかったドンキホーテと、その夢を信じて案山子の殿様に忠誠を捧げ尽すことの出来たサンチョと、この二人にまさる・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 林檎畑の案山子は、樹の頂上からぴょこんと空中へ今正に飛び出した所だと云ったような剽軽な恰好をしている。農婦の派手な色の頬冠りをした恰好がポーランドあたりで見かけたスラヴ女の更紗の頬冠りを想い出させる。それからまた、どこの国でも婆さんは・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫