・・・粟野さんは十円札を返されるよりも、むしろ欣然と受け取られることを満足に思ったのに違いない。それを突き返したのは失礼である。のみならず、―― 保吉はこの「のみならず」の前につむじ風に面するたじろぎを感じた。のみならず窮状を訴えた後、恩恵を・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・殊に小児と似ているのは喇叭や軍歌に皷舞されれば、何の為に戦うかも問わず、欣然と敵に当ることである。 この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなった者ではない。勲章も――わたしには実際不思・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・怨毒の深きを 曳手・単節荒芽山畔路叉を成す 馬を駆て帰来る日斜き易し 虫喞凄涼夜月に吟ず 蝶魂冷澹秋花を抱く 飄零暫く寓す神仙の宅 禍乱早く離る夫婿の家 頼ひに舅姑の晩節を存するあり 欣然寡を守つて生涯を送る 犬・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・何ひとつ武器を持たぬ繊弱の小禽ながら、自由を確保し、人間界とはまったく別個の小社会を営み、同類相親しみ、欣然日々の貧しい生活を歌い楽しんでいるではないか。思えば、思うほど、犬は不潔だ。犬はいやだ。なんだか自分に似ているところさえあるような気・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・茶会御出席に依り御心魂の新粧をも期し得べく、決してむだの事には無之、まずは欣然御応諾当然と心得申者に御座候。頓首。 ことしの夏、私は、このようなお手紙を、れいの黄村先生から、いただいたのである。黄村先生とは、どんな御人物であるか、それに・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 利平は驚いた。暗い処に数十日をぶち込まれた筈の彼等の、顔色の何処にそんな憂色があるか! 欣然と、恰も、凱旋した兵卒のようではないか! ……迎えるものも、迎えらるるものも、この晴れ晴れした哄笑はどうだ 暖かい、冬の朝暾を映して、若い力の・・・ 徳永直 「眼」
・・・それでも文鳥は欣然として行水を使っている。 自分は急に易籠を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露を持って風呂場へ行って、水道の水を汲んで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・と銘を改め細川家にとって数々の名誉を与えるものとなったのであるが、彌五右衛門は、三斎公に助命された恩義を思って、江戸詰御留守居という義務からやっと自由になった十三年目に、欣然として殉死した。三斎公の言葉として、作者鴎外は、「総て功利の念を以・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ジャーナリズムに見つけ出され、製造された新人の多くが、本質的に新しい文学を創る力をもつものでなかったことを、火野葦平はむしろ、欣然として認めている。小原壮助の実体の明かでない同人雑誌尊重の論を、火野葦平の「同人雑誌本来の姿」に関する説明とあ・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
出典:青空文庫