・・・「何、水母にやられたんだ。」 海にはこの数日来、俄に水母が殖えたらしかった。現に僕もおとといの朝、左の肩から上膊へかけてずっと針の痕をつけられていた。「どこを?」「頸のまわりを。やられたなと思ってまわりを見ると、何匹も水の中・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ 玉蜀黍殻といたどりの茎で囲いをした二間半四方ほどの小屋が、前のめりにかしいで、海月のような低い勾配の小山の半腹に立っていた。物の饐えた香と積肥の香が擅にただよっていた。小屋の中にはどんな野獣が潜んでいるかも知れないような気味悪さがあっ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・全体が薄樺で、黄色い斑がむらむらして、流れのままに出たり、消えたり、結んだり、解けたり、どんよりと濁肉の、半ば、水なりに透き通るのは、是なん、別のものではない、虎斑の海月である。 生ある一物、不思議はないが、いや、快く戯れる。自在に動く・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・頭をたたいて、「飯蛸より、これは、海月に似ている、山の海月だね。」「ほんになあ。」 じゃあま、あばあ、阿媽が、いま、(狐の睾丸ぞと詈ったのはそれである。 が、待て――蕈狩、松露取は闌の興に入った。 浪路は、あちこち枝を潜・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 末遠いパノラマのなかで、花火は星水母ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。 しばらくすると少年達もそれに気がついた。彼は心の中で喜んだ。「四十九」「ああ。四十九」 そんな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・夥しく上がった海月が五色の真砂の上に光っているのは美しい。 寛げた寝衣の胸に吹き入るしぶきに身顫いをしてふと台場の方を見ると、波打際にしゃがんでいる人影が潮霧の中にぼんやり見える。熊さんだと一目で知れた。小倉の服に柿色の股引は外にはない・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ 船首の突端へ行って海を見おろしていると深碧の水の中に桃紅色の海月が群れになって浮遊している。ずっと深い所に時々大きな魚だか蝦だか不思議な形をした物の影が見えるがなんだとも見定めのつかないうちに消えてしまう。 右舷に見える赤裸の連山・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 波に打上げられた海月魚が、硝子が熔けたように砂のうえに死んでいた。その下等動物を、私は初めて見た。その中には二三疋の小魚を食っているのもあった。「そら叔父さん綸が……」雪江は私に注意した。釣をする人たちによって置かれた綸であった。・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・書棚のまわりにも群がって埃と膏と若さの匂いをふりまいている様々の心と体との生々しい人間たちではなくて、その本の著者の心情からスーと遠のいて自然科学的な観察の対象と化された半透明な、自発的な意志のない、海月か何ぞのように感じられて来るのは、何・・・ 宮本百合子 「生態の流行」
・・・子供たちは砂浜で、ぶるぶる慄える海月を攫んで投げつけ合った。舟から樽が、太股が、鮪と鯛と鰹が海の色に輝きながら溌溂と上って来た。突如として漁場は、時ならぬ暁のように光り出した。毛の生えた太股は、魚の波の中を右往左往に屈折した。鯛は太股に跨ら・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫