・・・この水を利用して、いわゆる水辺建築を企画するとしたら、おそらくアアサア・シマンズの歌ったように「水に浮ぶ睡蓮の花のような」美しい都市が造られることであろう。水と建築とはこの町に住む人々の常に顧慮すべき密接なる関係にたっているのである。けっし・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・市長は巷を分捕り、漁人は水辺におのが居を定めた。総ての分割の、とっくにすんだ後で、詩人がのっそりやって来た。彼は遥か遠方からやって来た。ああ、その時は何処にも何も無く、すべての土地に持主の名札が貼られてしまっていた。「ええ情ない! なんで私・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・こころよい愛撫のかわりに、歯齦から血の出るほどの殴打があった。水辺のしずかな散歩のかわりに、砂塵濛々の戦車の疾駈があった。 相剋の結合は、含羞の華をひらいた。アグリパイナは、みごもった。ブラゼンバートは、この事実を知って大笑した。他意は・・・ 太宰治 「古典風」
・・・それがちょうど中元の頃で、この土地の人々は昔からの風習に従って家々で草を束ねた馬の形をこしらえ、それを水辺に持出しておいてから、そこいらの草を刈ってそれをその馬に喰わせる真似をしたりしていた。この草で作った馬の印象が妙になまなましく自分のこ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・は湿潤な水辺に多いが、これとよく似て黄色い「黄つりふね草」は、少なくもこの地では、丘の上や山腹に多いように見える。 植物の果実のことだけを詳しく取り扱ったいわゆるカルポロジーの本を読んだときに、乾燥すると子房がはじけて種子をはじき飛ばす・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ この文化的日本の銀座の舗道の上に、びしょびしょにぬれて投げ出された数株の菱を見て、若い日の故郷の田舎の水辺の夢を思い出す人は、自分らばかりではないと見える。 神代からなる蒲の穂や菱の浮き葉は、やはり今でも日本にあるにはあるのである・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 諏訪湖畔でも山麓に並んだ昔からの村落らしい部分は全く無難のように見えるのに、水辺に近い近代的造営物にはずいぶんひどく損じているのがあった。 可笑しいことには、古来の屋根の一型式に従ってこけら葺の上に石ころを並べたのは案外平気でいる・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・食堂のガラス窓越しに見える水辺の芝生に大名行列の一団が弁当をつかっているのが見える。揃いの水色の衣装に粗製の奴かつらを冠った伴奴の連中が車座にあぐらをかいてしきりに折詰をあさっている。巻煙草を吹かしているのもあれば、かつらを気にして何遍も抜・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・正月は一年中で日の最も短い寒の中の事で、両国から船に乗り新大橋で上り、六間堀の横町へ来かかる頃には、立迷う夕靄に水辺の町はわけても日の暮れやすく、道端の小家には灯がつき、路地の中からは干物の匂が湧き出で、木橋をわたる人の下駄の音が、場末の町・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・今は思いきって森を離れて水辺に行く事にした。 海のような広い川の川口に近き処を描き出した。見た事はないが揚子江であろうと思うような処であった。その広い川に小舟が一艘浮いて居る。勿論月夜の景で、波は月に映じてきらきらとして居る。昼のように・・・ 正岡子規 「句合の月」
出典:青空文庫