・・・詳しくいえば、大西洋の海面の恒久の退屈さでありアラン島民の生活の永遠の退屈さである。退屈というのが悪ければ深刻な憂鬱である。それを観客に体験させる。 始めから終わりまで繰り返さるる怒濤の実写も実に印象の強く深い見ものである。波の音もなか・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・この二層の境界面の高さは、場合により時刻によっていろいろになるわけであるが、通例海面から数百メートル程度のものである。航空者特に自由気球にでも乗る人はこの事実を忘れてはならない。 海陸風の原因が以上のとおりであるから、この風は昼間日照が・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
・・・天の一方には弦月が雲間から寒い光を投げて直下の海面に一抹の真珠光を漾わしていた。 青森から乗った寝台車の明け方近い夢に、地下室のような処でひどい地震を感じた。急いで階段を駈け上がろうとすると、そこには子供を連れた婦人が立ちふさがっていて・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ 宅へ沙汰なしでうっかりこんな所へ来てしまって、いつ帰られるかわからないことになって、これは困ったことができたと思って、黒い海面のかなたの雲霧の中をながめていたら目がさめた。胃のぐあいが悪くて腹が引きつるようであった。そのためにこんな不・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・これは月と太陽との引力のために起るもので、月や太陽が絶えず東から西へ廻るにつれて地球上の海面の高く膨れた満潮の部分と低くなった干潮の部分もまた大体において東から西へ向かって大洋の上を進んで行きます。このような潮の波が内海のようなところへ入っ・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・二十一日の早朝に中心が室戸岬附近に上陸する頃には颱風として可能な発達の極度に近いと思わるる深度に達して室戸岬測候所の観測簿に六八四・〇ミリという今まで知られた最低の海面気圧の記録を残した。それからこの颱風の中心は土佐の東端沿岸の山づたいに徳・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・みごとな虹が立ってその下の海面が強く黄色に光って見えた。右舷の島の上には大きな竜巻の雲のようなものがたれ下がっていた。ミラージュも見えた。すべてのものに強い強い熱国の光彩が輝いているのであった。 船はタンジョンパガールの埠頭に横づけにな・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・川口に当りて海面鏡のごとく帆船の大き小さきも見ゆ。多門通りより元の道に出てまた前の氷屋に一杯の玉壺を呼んで荷物を受取り停車場に行く。今ようやく八時なればまだ四時間はこゝに待つべしと思えば堪えられぬ欠伸に向うに坐れる姉様けゞん顔して吾を見る。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・しずかな日きまった速さで海面を南西へかけて行くときはほんとうにうれしいねえ、そんな日だって十日に三日はあるよ、そう云うふうにして丁度北極から一ヶ月目に僕は津軽海峡を通ったよ、あけがたでね、函館の砲台のある山には低く雲がかかっている、僕はそれ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・いよいよ今日は歩いてもだめだと学士はあきらめてぴたっと岩に立ちどまりしばらく黒い海面と向うに浮ぶ腐った馬鈴薯のような雲を眺めていたが、又ポケットから煙草を出して火をつけた。それからくるっと振り向いて陸の方・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
出典:青空文庫