・・・この感動の涙を透して見た、小川町、淡路町、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。歳暮大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾、蜘蛛手に張った万国国旗、飾窓の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ このほか名高い瀬戸や普通の人の知らぬ瀬戸で潮流の早いところは沢山ありますが、しかし、何といっても阿波と淡路の間の鳴門が一番著しいものでしょう。この海峡は幅がわずか十五町くらいで、しかもその内に浅瀬の部分があるので深いところは幅五町くら・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・「あれが和田岬です」「尼ヶ崎から、あすこへ軍兵の押し寄せてくるのが見えるかしら」私は尼ヶ崎の段を思いだしながら言った。「あれが淡路ですぜ。よくは見えませんでしょうがね」 私は十八年も前に、この温和な海を渡って、九州の温泉へ行・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・当時の町奉行は、東が稲垣淡路守種信で、西が佐佐又四郎成意である。そして十一月には西の佐佐が月番に当たっていたのである。 じいさんが教えているうちに、それを聞いていた長太郎が、「そんなら、おいらの知った町だ」と言った。そこで姉妹は長太郎を・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・それは山中の妻の親戚に、戸田淡路守氏之の家来有竹某と云うものがあって、その有竹のよめの姉を世話したのである。 なぜ妹が先によめに往って、姉が残っていたかと云うと、それは姉が邸奉公をしていたからである。素二人の女は安房国朝夷郡真門村で由緒・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫