・・・ と、おかしなベソをかいた顔をすると、手に持つ銚子が湯沸しにカチカチカチと震えたっけ、あとじさりに、ふいと立って、廊下に出た。一度ひっそり跫音を消すや否や、けたたましい音を、すたんと立てて、土間の板をはたはたと鳴らして駈け出した。 ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・一同はワヤ/\ガヤ/\して満室の空気を動揺し、半分黒焦げになったりポンプの水を被ったりした商品、歪げたり破れたりしたボール箱の一と山、半破れの椅子や腰掛、ブリキの湯沸し、セメント樽、煉瓦石、材木の端片、ビールの空壜、蜜柑の皮、紙屑、縄切れ、・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・もちろんこれは湯沸しの装置がうまく出来ているから、そういう温度の調節が誰にでも容易に出来るのであって、われわれの家の原始的な風呂桶などとは訳がちがうことは確かである。しかしそういう装置を使っているだけに、摂氏一度だけの高低が人間の感覚にいか・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・新造の注意か、枕もとには箱火鉢に湯沸しが掛かッて、その傍には一本の徳利と下物の尽きた小皿とを載せた盆がある。裾の方は屏風で囲われ、頭の方の障子の破隙から吹き込む夜風は、油の尽きかかッた行燈の火を煽ッている。「おお、寒い寒い」と、声も戦い・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・正面に白樺薪で沸かすニッケルの大湯沸しが立っている。テーブルがある。まだ洗われない皿がそこに山と積んである。あたりは小ざっぱりしているがそれ等の皿の上をのぼったり下りたりして蠅がうんと這っていた。蠅は、電燈の下で皿がうごめくように黒くしずか・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ 大きい大きいニッケル湯沸しの横に愛嬌のいい小母さんが立って一杯三哥のお茶をのませ、菓子などを売る喫茶部は殷やかな話し声笑い声に満ちている。 体育室の設備のよさは、プロレタリア・スポーツの誇りだ。 医務室がある。 法律相談所・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・煖炉があるのに、枕元に真鍮の火鉢を置いて、湯沸かしが掛けてある。その傍に九谷焼の煎茶道具が置いてある。小川は吭が乾くので、急須に一ぱい湯をさして、茶は出ても出なくても好いと思って、直ぐに茶碗に注いで、一口にぐっと呑んだ。そして着ていたジャケ・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫