・・・ 清光 偏えに照らす 善だ愁うの人〕なぞいうのがあった。今日読返して見ると覚えず噴飯するほどである。わずか十四、五歳の少年が「昨日は紅楼に爛酔するの人」といっているに至っては、文字上の遊戯もまた驚くべきではないか。しかし自分は・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・しばらくはわが足に纏わる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、屹と立ち直りて、繊き手の動くと見れば、深き幕の波を描いて、眩ゆき光り矢の如く向い側なる室の中よりギニヴィアの頭に戴ける冠を照らす。輝けるは眉間に中る金剛石ぞ。「ランスロット」・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・真上から林を照らす光線が、かの丸い黄な無数の葉を一度に洗って、林の中は存外明るい。葉の向きは固より一様でないから、日を射返す具合も悉く違う。同じ黄ではあるが透明、半透明、濃き、薄き、様々の趣向をそれぞれに凝している。それが乱れ、雑り、重なっ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・髯の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬り役も繁昌だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を磨ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の主が答える。これは背の・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・日の真摯な心情とを、医学者としてのベルツ、生物学者としてのモールスが記述していて、文学における小泉八雲、哲学のケーベル博士、美術のフェノロサの著述とともに、私たちにとって親愛な父祖たちの精神史の一部を照らす鏡をなしている。「科学の学校」・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・測量器をかついで深い雪をこぎ、新しい集団農場の下ごしらえのために働いているコムソモールを照らす太陽と、彼等の白い元気のいい息とを。 ――「生産の場所へ!」―― 何台も連結された無蓋貨車に出来たてのトラクターがのせられた。数百露里のレ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 日は窓々をひろく照らすようになって、サア、家々の掃除が始った。工場へ行くために、役所へつとめに出るためにせっせと顔を洗う。服を着る。もう往来は朝の勤めに出る女や男でいっぱいになって来た。 家の中でも! 工場の機械の間にも!・・・ 宮本百合子 「ソヴェト映画物語」
・・・女のような声ではあったが、それに強い信念が籠っていたので、一座のものの胸を、暗黒な前途を照らす光明のように照らした。 「どりゃ。おっ母さんに言うて、女子たちに暇乞いをさしょうか」こう言って権兵衛が席を起った。 従四位下侍従兼肥後・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・特に、夕日が西に傾いて、その赤い光線が樹々の紅葉を照らす時の美しさは、豪華というか、華厳というか、実に大したものだと思った。しかしその年の紅葉がそういうふうに出来がよいということの見透しは、その間ぎわまではつかないのである。手紙で打ち合わせ・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・人静かにして月同じく眠るのは、単なる叙景である。人静かにして月同じく照らすというところに、当時の漱石の人間に対する態度や、自ら到達しようと努めていた理想などが、響き込んでいるように思われる。・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫