・・・ 戦争後に流行した茶番じみた滑稽物は漸くすたって、闇の女の葛藤、脱走した犯罪者の末路、女を中心とする無頼漢の闘争というが如きメロドラマが流行し、いずこの舞台にもピストルの発射されないことはないようになった。 戦争前の茶番がかった芝居・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・僕は早くから犯罪人の心理を知っていた。人目を忍び、露見を恐れ、絶えずびくびくとして逃げ回っている犯罪者の心理は、早く既に、子供の時の僕が経験して居た。その上僕は神経質であった。恐怖観念が非常に強く、何でもないことがひどく怖かった。幼年時代に・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 最近の犯罪傾向が暗示する、骨肉相殺がないか? 人々は信ずる処を失ってしまった。滅茶苦茶であった。虚無時代であった。恐怖時代であった。 棍棒は、剣よりもピストルよりも怖れられた。 生活は、農民の側では飢饉であった。検挙に次ぐ検挙・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・よしんば死刑になるかも分らない犯罪にしても、判決の下るまでは、天災を口実として死刑にすることは、はなはだ以て怪しからん。―― という風なことを怒鳴っていると、塀の向うから、そうだ、そうだ、と怒鳴りかえすものがあった。 ――占めた――・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・日本の開化期の文化に関係ある統計のあるものは極めて意味深く近代日本というものの本質を示していると思う。犯罪統計のうち破廉恥罪以外で投獄された人民の第一位を、新聞取締法違反によって告発された執筆者たちが占めていたのである。 ・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・今日の生活としてだれしもやむを得ないことは、その程度のちがいだけであるところまで辷りこむと、本質をかえて社会悪となり、また犯罪的性格をもつようになってしまう。公然のうそが、わたしたちの生活にある。うそであることを政府も人民も知っている。だけ・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・ここに、おどろくべく深い人間精神虐殺の犯罪性の一つがひそんでいる。転向して生を守ろうと欲する人は、自分にも他人にも顔向けのできない思いで、うそをつき、仮面をつけて、現れなければならない。ここに転向というモメントから、多くの人々の精神が生涯の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・有名なえらい人の偽証は無罪とされ、一般の人の偽証は犯罪とされているその点への疑惑が語られていた。裁判が精神的・物質的圧力から必ずしも自由でないことがうかがえる。 目さきの話題だけに注意を奪われずに、わたしたちは、こんにちの反民主的な権力・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・ではあるが、この一語こそ、戦争犯罪的権力に向って、七千万人民が発する詰問としての性質をもっているのである。この「何故」は止めるに止めかねる歴史の勢をはらんで、権力が人民に強いた不幸の根源に迫るものである。何故、運輸省は今日の殺人的交通事情を・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・その犯罪、その生涯の事を思ったのである。 丁度浮木が波に弄ばれて漂い寄るように、あの男はいつかこの僻遠の境に来て、漁師をしたか、農夫をしたか知らぬが、ある事に出会って、それから沈思する、冥想する、思想の上で何物をか求めて、一人でいると云・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫