・・・その間に時は用捨なく移って、やがて夕暮の色と共に、棗の実を食み落す鴉の声が、寂しく空に響くようになった。喜三郎は気を揉んで、甚太夫の側へ寄ると、「一そ恩地の屋敷の外へ参って居りましょうか。」と囁いた。が、甚太夫は頭を振って、許す気色も見せな・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・乱筆御用捨三十日斎藤内田様コウ書イタママデ電車ニ飛乗リマシタノデ、今日マデ机ノ上ニ逗留シテオリマシタ、昨夜帰宅イタシマシタバカリデ今マタ東京へ立チマスノデ書直スヒマガアリマセヌ、ナゼソンナニアワテルカトオ思召シマショウガ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・髪に用捨もなき事やといえば、吉三郎せつなく、わたくしは十六になりますといえば、お七わたくしも十六になりますといえば、吉三郎かさねて長老様がこわやという、おれも長老様はこわしという、西鶴あのころは、四十五歳か。一ばん、いいとしらしいな。「女形・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・急いで朝飯かき込み岡崎氏と停車場に馳けつくれば用捨気もなき汽車進行を始めて吐き出す煙の音乗り遅れし吾等を嘲るがごとし。珍しき事にもあらねど忌々しきものなり。先ず荷物を預けんとて二人のを一緒に衡らす。運賃弐円とは馬鹿々々しけれど致し方もなし。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・なるほど充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇から用捨なく冷たい点滴が畳の上に垂れる。折目をつまんで抛り出すと、婆さんの膝の傍に白繻子の裏を天井に向けて帽が転がる。灰色のチェスターフィールドを脱いで、一振り振って投げた時はいつもよりよほど重・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・我輩に於ても固より其野鄙粗暴を好まず、女性の当然なりと雖も、実際不品行の罪は一毫も恕す可らず、一毫も用捨す可らず。之が為めに男子の怒ることあるも恐るゝに足らず、心を金石の如くにして争うこそ婦人の本分なれ。女大学記者は是等の正論を目して嫉妬と・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫