・・・窓の高い天井の低い割には、かなりに明るい六畳の一間で、申しわけのような床の間もあって、申しわけのような掛け物もかかって、お誂えの蝋石の玉がメリンスの蓐に飾られてある。更紗の掻巻を撥ねて、毛布をかけた敷布団の上に胡座を掻いたのは主の新造で、年・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 爺さんは暫く口の中で、何かぶつぶつ言ってるようでしたが、やがて何か考えが浮んだように、俄にニコニコとして、こう申しました。「ええ。畏りました。だが、この寒空にこの土地で梨の実を手に入れる事は出来ません。併し、わたくしは今梨の実の沢・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・お部屋の用意をしてお待ち申しておりやんすによって、どうぞごゆるりお越し下されやんせッ」 あっという間に、闇の中へ走りだしてしまった。 私はことの意外におどろいた。「あ、ちょっと……。宿はどこですか。どの道を行くんですか。ここ真っ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・脚を一本お貰い申したがね、何の、君、此様な脚の一本位、何でもないさねえ。君もう口が利けるかい?」 もう利ける。そこで一伍一什の話をした。 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ K君は自分の影を見ていた、と申しました。そしてそれは阿片のごときものだ、と申しました。 あなたにもそれが突飛でありましょうように、それは私にも実に突飛でした。 夜光虫が美しく光る海を前にして、K君はその不思議な謂われをぼちぼち・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・それに私もお付き申しているから、と言っても随分怪しいものですが、まあまあお気遣いのようなことは決してさせませんつもり、しかしおいやでは仕方がないが。 いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・返事書きたき由仰せられ候まま御枕もとへ筆墨の用意いたし候ところ永々のご病気ゆえ気のみはあせりたまえどもお手が利き候わず情けなき事よと御嘆きありせめては代筆せよと仰せられ候間お言葉どおりを一々に書き取り申し候 必ず必ず未練のことあるべ・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・日蓮はここにおいて決するところあり、自ら進んで、積極的に十一通の檄文を書いて、幕府の要路及び代表的宗教家に送って、正々堂々と、公庁が対決的討論をなさんことを申しいどんだ。 これは憂国の至情黙視しておられなかったのであるが、また彼の性格の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ わたくしは前にも申した通り学生生活の時代が極短くて、漢学の私塾にすらそう長くは通いませんでした。即ち輪講をして窘められて、帳面に黒玉ばかりつけられて、矢鱈に閉口させられてばかり居たぎりで、終に他人を閉口させるところまでには至らずに退塾・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・今に、どうやら話せる幕があったと聞きそれもならぬとまた福よしへまぐれ込みお夏を呼べばお夏はお夏名誉賞牌をどちらへとも落しかねるを小春が見るからまたかと泣いてかかるにもうふッつりと浮気はせぬと砂糖八分の申し開き厭気というも実は未練窓の戸開けて・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫