・・・遺族に対して申訳がない、そんなことも云った。――しかし、内心では、何等の心配をも感じてはいない。ばかりでなく、むしろ清々していた。気にかかるのは、師団長にどういう報告書を出すか、その事の方が大事であった。 一週間探した。しかし、行衛は依・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・どうしても釣れないから、吉もとうとうへたばって終って、 「やあ旦那、どうも二日とも投げられちゃって申訳がございませんなア」と言う。客は笑って、 「なアにお前、申訳がございませんなんて、そんな野暮かたぎのことを言うはずの商売じゃねえじ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・御帰りになりますれば、日頃御重愛の品、御手ならしの品とて、しばらく御もてあそび無かった後ゆえ、直にも御心のそれへ行くは必定、其時其御秘蔵が見えぬとあっては、御方様の御申訳の無いはもとより、ひいては何の様なことが起ろうも知れませぬ。御方様のき・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・「そう御新造さまのようにお小遣いを使わっせると、わたしがお家の方へ申し訳がないで」 と婆やはきまりのようにそれを言って、渋々おげんの請求に応じた。 こうした場合ほどおげんに取って、自分の弱点に触られるような気のすることはなかった・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「どうも失礼……今日は二人で山遊びに出掛けて……酩酊……奥さん、申訳がありません……」 学士は上り框のところへ手をついて、正直な、心の好さそうな調子で、詫びるように言った。 体操の教師は磊落に笑出した。学士の肩へ手を掛けて、助け・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・お金の件、お願いに背いて申し訳ないが、とても急には出来ない。実は昨年、県会議員選挙に立候補してお蔭で借金へ毎月可成とられるので閉口。選挙のとき小泉邦録君から五十円送って貰った。これだけでも早くお返ししたいと思い乍ら未だにお返し出来ずにいる始・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ほんとうに申し訳がございませぬけれど、なにもかも、まるで、青蚊帳の幻燈のような、そのような有様でございますから、どうで御満足の行かれますようお話ができかねるのでございます。てもなく夢物語、いいえ、でも、あの晩に哀蚊の話を聞かせて下さったとき・・・ 太宰治 「葉」
・・・ほんの申訳にやっているのだという。なるほどあのガラガラの音ぐらいでは三百六十五日浚ってみたところで梓川がただの一と雨に押し流してくる砂泥をすくい上げるにも足りないのではないかという気がするのであった。とにかくこの浚渫機械の小屋と土手はおそら・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・実に申訳のない次第である。 S先生の手紙の内容を想い出そうと骨折ってみても、もうどうしても想い出せない。ただ一つ、なんでも幼い夏目先生がどこかの塀の上にあがっていて往来人に何かぶっかけて困らせたと云ったようなことがあったような気がするだ・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ピストルも一発だけ申し訳にぶっ放すが結果は街燈を一つシャボン玉のようにこわすだけである。この映画の中に現われている限りの出来事と達引とはおそらくパリという都ができて以来今日に至るまでほとんど毎日のようにどこかの裏町どこかの路地で行なわれてい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫