・・・ そこはゴミゴミした町中で、家が建てこみ、風通しが悪かったが、ことにその部屋は西向き故、夏の真夏の西日がカンカン射し込むのだった。さすがの父親もたまりかねたのか、簾をおろし、カーテンを閉めて西日を防いだのは良かったが、序でに窓まで閉めて・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 喧嘩早く、物見高く、町中見栄を張りたがり、裏店の破れ障子の中にくすぶっても、三月の雛の節句には商売道具を質においても雛段を飾り、娘には年中派手な衣裳を着せて、三味線を習わせ、踊を仕込むという町であった。そのために随分無理をする親もあっ・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・多くの山家育ちの人達と同じように、わたしも草木なしにはいられない方だから、これまでいろいろなものを植えるには植えて見たが、日当りはわるく、風通しもよくなく、おまけに谷の底のようなこの町中では、どの草も思うように生長しない。そういう中で、わた・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・父は浦和から出て、東京京橋の目貫な町中に小竹の店を打ち建てた人で、お三輪はその家附きの娘、彼女の旦那は婿養子にあたっていた。この二人の間に生れた一人子息が今の新七だ。お三輪が小竹の隠居と言われる時分には、旦那は疾くにこの世にいない人で、店も・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ごちゃごちゃとした町中の往来を隔てて、魚を並べた肴屋の店がその障子の外に見おろされる。向かい隣には、白い障子のはまった下町風の窓も見える。そこは私があの山の上から二度目に越して行った家の二階で、都会の空気も濃いところだ。かつみさん夫婦がかわ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・それでだんだんにほかの議政官たちを押しのけて、町中のことは自分一人で勝手に切り廻すようになりました。 ディオニシアスはずいぶんわがままな惨酷な男でした。市民たちは彼のいろいろな乱暴から、ディオニシアスを蛇のように憎み出しました。しかし、・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・みんなは、もうこうなれば、たとい火の中をくぐっても王女さまを取りかえして見せる、もし相手が王女をわたさないと言うなら、すぐに町をせめかこんで、町中のものを一人も残さず斬り殺してやろうと、こう腹をきめているのでした。 間もなく兵たいたちは・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・肉屋は町中の人々や、買いものに来たお客たちに一々その犬の話をして聞かせました。すると、だれもかれも、「へえ。」と感心して、犬を見入ったり、くびをなでたりしていきます。犬はやはり夕方まで店の番をつづけました。肉屋はきょうは肉の分量を少しお・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る隈なく駈けめぐり、清冽の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぷ洗い流れて、三・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ そんな訳ゆえ、彼はその翌日から町中のひとたちと知合いになってしまったのに何の不思議もなかった筈である。 彼はなおも街をぶらぶら歩きながら、誰かれとなくすべてのひとと目札を交した。運わるく彼の挨拶がむこうの不注意からそのひとに通じな・・・ 太宰治 「猿面冠者」
出典:青空文庫