・・・ 上田の町を歩いている頃は高原の太陽が町のアスファルトに照り付けて、その余炎で町中はまるで蒸されるように暑く、いかにも夏祭りに相応しい天気であった。帰りの汽車が追分辺まで来ると急に濃霧が立籠めて来て、沓掛で汽車を下りるとふるえるほど寒か・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・このぶんなら東京の町中でもどうやら写生ができそうな気もした。 行きにいっしょであった女学校の一団と再び同じ汽車に乗り合わせたが、生徒たちは行きとはまるで別人のように活発になっていた。あの物静かな唱歌はもう聞かれなくなって、にぎやかなむし・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 普通教育を受けた人間には、もはやまっ昼間町中を大きな声を立てて歩くのが気恥ずかしくてできなくなるのか、売り声で自分の存在を知らせるだけで、おとなしく買い手の来るのを受動的に待っているだけでは商売にならない世の中になったのか、あるいはま・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ 市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流のいずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。 これは子供の時・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ わたくしの知っていた人たちの中で兵火のために命を失ったものは大抵浅草の町中に住み公園の興行ものに関与っていた人ばかりである。 大正十二年の震災にも焼けなかった観世音の御堂さえこの度はわけもなく灰になってしまったほどであるから、火勢・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・昔より大隠のかくれる町中の裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目的のために作られた彼が心の安息所であったのだ。二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 亡くなった九月十一日も雨が降り、小雨にけむる町中を私共は十三日に青山に行った。 雨に縁の深かった妹は雨の日に世に出て同じ様な日に世を去った。 何でもない事で居て私はやたらに思い出される。 私が斯うやって書いて居るのは何のた・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・る或る只の金持の昔の中門の様な門が葉桜のすき間から見えたり、あけっぱなしの様子をした美術学校の学生や、なれた声で歌って行く上野の人達のたまに通るのをジーット見て居ると、少し位の不便はあってもどうしても町中へ引越わけにはいかない、なんかと思っ・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ 今朝町に参った若い者は、町中のものが、良いおねだんの張った馬がさばけるし、武器の御注文は間に合いかねるほどだ と申してお城の様子をきいたものさえあると申して居りましたの。老近侍はだまって女達の話をきいて居る。・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・休暇を貰っても、こんな土地では日の暮らしようがない。町中に見る物はない。温泉場に行くにしても、二日市のような近い処はつまらず、遠い処は不便で困る。先ずこんな事である。石田は只はあ、はあと返事をしている。 中には少し風流がって見る人もある・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫