・・・ そのとしの、四月ごろから、兄は異常の情熱を以て、制作を開始いたしました。モデルを家に呼んで、大きいトルソオに取りかかった様子でありました。私は、兄の仕事の邪魔をしたくないので、そのころは、あまり兄の家を訪ねませんでした。いつか夜、ちょ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・ しかし、つらい時の作品にはまた、異常な張りがあるものらしく、この「青ヶ島大概記」などは井伏さんの作品には珍らしく、がむしゃらな、雄渾とでもいうべき気配が感ぜられるようである。 私は、第一巻のあとがきにも書いておいたように、井伏さん・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ もう一つ、これは甚だロマンチックの仮説でありますけれども、この小説の描写に於いて見受けられる作者の異常な憎悪感は、直接に、この作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発しているのではないか。すなわち、この小説は、徹底的に事実その・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・殊にも祖母の信仰は異常といっていいくらいで、家族の笑い話の種にさえなっている。お寺は、浄土真宗である。親鸞上人のひらいた宗派である。私たちも幼時から、イヤになるくらいお寺まいりをさせられた。お経も覚えさせられた。 ×・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
真夏の正午前の太陽に照りつけられた関東平野の上には、異常の熱量と湿気とを吸込んだ重苦しい空気が甕の底のおりのように層積している。その層の一番どん底を潜って喘ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して碓氷峠の第一トンネルにかかるこ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・それにはもちろん異常な努力が必要であるが、そういう努力は苦しい。それをしなくても今日には困らない。そこに案内者のはまりやすい「洞窟」がある。 ニュールンベルグの古城で、そこに収集された昔の物すごい刑具の類を見物した事がある。名高い「鉄の・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・従って顔の小じわの一つ一つ、その筋肉の微細な運動までが異常に郭大される。指先の神経的な微動でもそれが恐ろしくこくめいに強調されて見える。それだから大写しの顔や手は、決して「芝居」をしてはいけないことになっている。それをするといやみで見ていら・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・しかしこの音響伝播の特性を利用することによって発声映画は異常な能力を発揮することができるのである。たとえば探偵が容疑犯罪者と話しているおりから隣室から土人の女の歌が聞こえて来るのに気がついて耳をそばだてる。歌がやんで後にその女が現われるとす・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・自分は彼の言語動作のいずれの点にも、酒気に駆られて動くのだと評してしかるべききわだった何物をも認めなかったので、異常な彼の顔色については、別にいうところもなく済ました。しばらくして彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、コップに水を一ぱいくれ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・僕がポオやドストイェフスキイに牽引されるのも、つまりは彼等の中に、異常性格者的なデカダンスがあるために外ならない。僕のやうな人間が、もし自然のままの傾向で惰力して行つたら、おそらく辻潤や高橋新吉のやうな本格的のダダイストになつたにちがひない・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫