・・・そして一旦それが解れば、始めに見た異常の景色や事物やは、何でもない平常通りの、見慣れた詰らない物に変ってしまう。つまり一つの同じ景色を、始めに諸君は裏側から見、後には平常の習慣通り、再度正面から見たのである。このように一つの物が、視線の方角・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・私は今までの異常な出来事に心を使いすぎたのだろう。何だか口をきくのも、此上何やかを見聞きするのも憶却になって来た。どこにでも横になってグッスリ眠りたくなった。「どれ、兎に角、帰ることにしようか、オイ、俺はもう帰るぜ」 私は、いつの間・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、その闇の中にあって異常に張りつめられている注意、期待、決意がかもし出す最も密度の濃い沈黙的緊張の凄さであることを、実感をもって思い出すであろう。戦線の兵士たちが可愛い。法悦・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・けれどももし何かの自然の間違いで、胎生細胞がいくつか新しくなりきらないで、人間のからだの中にのこったまま生れたとき、成長してのちある生物的な条件のもとで、その細胞が異常な細胞増殖をはじめる。そしてそれは癌という致命的な病気の名をつけられてい・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・補助的なものという先入観で見られつつ現実にはその収入で一家を支えてゆかなければならない世帯主であるところに、異常な苦しみを負わされているのである。 銃後の力としての女の労働力は、決して貴方が七分、私が三分的な和気あいあい的なものではない・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・ ニューヨークのようなところに生活しているとき、若い作者がなぜその人として珍しいほど暗い題材をそれ自身が一つの異常である書きぶりで書いたのだったろうか。時を経た今考えてみると、この「渋谷家の始祖」のモティーヴはきわめて心理的だったと思わ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・その翌日になると、彼の政務の執行力は、論理のままに異常な果断を猛々しく現すのが常であった。それは丁度、彼の猛烈な活力が昨夜の頑癬に復讐しているかのようであった。 そうして、彼は伊太利を征服し、西班牙を牽制し、エジプトへ突入し、オーストリ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・専攻は数学で、異常な数学の天才だという説明もあり、現在は横須賀の海軍へ研究生として引き抜かれて詰めているという。「もう周囲が海軍の軍人と憲兵ばかりで、息が出来ないらしいのですよ。だもんだから、こっそり脱け出して遊びに来るにも、俳号で来る・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そうして道徳と名のつくものを蔑視することに異常な興味を覚えた。宗教は予を制圧する権威でなかったがゆえに好んで近づいたが、しかし何らかの権威を感じなければならない境地までは決してはいって行かなかった。むしろそれを他の権威に対する反逆の道具に使・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・ ヨーロッパ人は今異常に苦しんでいる。日本人はその苦しみを自分の身に分かつ代わりにむしろ嬉しそうにおもしろそうにながめている。他人の不幸を喜ぶのである。しかし苦しむものは育つ。この一、二年間のヨーロッパには、日本人の容易に窺知し難い進歩・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫