・・・それから隔ての襖を明けると、隣の病室へはいって行った。「ソップも牛乳もおさまった? そりゃ今日は大出来だね。まあ精々食べるようにならなくっちゃいけない。」「これで薬さえ通ると好いんですが、薬はすぐに吐いてしまうんでね。」 こう云・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・彼の病室は日当りの悪い、透き間風の通る二階だった。彼はベッドに腰かけたまま、不相変元気に笑いなどした。が、文芸や社会科学のことはほとんど一言も話さなかった。「僕はあの棕櫚の木を見る度に妙に同情したくなるんだがね。そら、あの上の葉っぱが動・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・なるほど多加志の病室の外には姫百合や撫子が五六本、洗面器の水に浸されていた。病室の中の電燈の玉に風呂敷か何か懸っていたから、顔も見えないほど薄暗かった。そこに妻や妻の母は多加志を中に挟んだまま、帯を解かずに横になっていた。多加志は妻の母の腕・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・私がその町に住まい始めた頃働いていた克明な門徒の婆さんが病室の世話をしていた。その婆さんはお前たちの姿を見ると隠し隠し涙を拭いた。お前たちは母上を寝台の上に見つけると飛んでいってかじり付こうとした。結核症であるのをまだあかされていないお前た・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・これのみならず玄関より外科室、外科室より二階なる病室に通うあいだの長き廊下には、フロックコート着たる紳士、制服着けたる武官、あるいは羽織袴の扮装の人物、その他、貴婦人令嬢等いずれもただならず気高きが、あなたに行き違い、こなたに落ち合い、ある・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ 寝床から自動車を呼んで、山代へ引返して、病院へ移ったという……お光の病室の床に、胸をしめて立った時、「旦那さん、――お光さんが貴方の、お身代り。……私はおくれました。」 と言って、小春がおもはゆげに泣いて縋った。「お光さん・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・寺田はその葉書を破って捨てると、血相を変えて病室へはいって行った。しかし、一代は油汗を流してのたうち廻っていた。激痛の発作がはじまっていたのだ。寺田はあわててロンパンのアンプルを切って、注射器に吸い上げると、いつもの癖で針の先を上向けて、空・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・さア、どうしてくれると騒ぎはお定の病室へ移されて、見るなと言われたものを見ておきながら見なかったとは何と空恐しい根性だと、お定のまわらぬ舌は、わざわざ呼んできた親戚の者のいる前でくどかった。 うなだれていた顔をふと上げると、登勢の眼に淀・・・ 織田作之助 「螢」
・・・危篤だと聞いて、早速駆けつける旨、電話室から病室へ言いに戻ると、柳吉は「水くれ」を叫んでいた。そして、「お、お、お、親が大事か、わいが大事か」自分もいつ死ぬか分らへんと、そんな風にとれる声をうなり出した。蝶子は椅子に腰掛けて、じっと腕組みし・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・吉田の病室へ突然猫が這入って来た。その猫は平常吉田の寝床へ這入って寝るという習慣があるので吉田がこんなになってからは喧ましく言って病室へは入れない工夫をしていたのであるが、その猫がどこから這入って来たのかふいにニャアといういつもの鳴声ととも・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
出典:青空文庫