・・・第一号を発行した。これには、毎月欠かさず××の記事が掲載された。三十八年八月には、堺利彦の訳になるトルストイの日露戦争反対論が掲げられている。 かゝる事実は、この戦争が如何なる意義を持っていたかを説明する材料の一つとなり得るものであるが・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・換言すれば骨董は一種の不換紙幣のようなものになったので、そしてその不換紙幣の発行者は利休という訳になったようなものである。西郷が出したり大隈が出したりした不換紙幣は直に価値が低くなったが、利休の出した不換紙幣はその後何百年を経てなおその価値・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・という可笑しな名前の同人雑誌を発行したことがあります。そのころ美術学校の塑像科に在籍中だった三男が、それを編輯いたしました。「青んぼ」という名前も、三男がひとりで考案して得意らしく、表紙も、その三男が画いたのですけれども、シュウル式の出・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・文章発見シ、世界ニ類ナキ銀鱗躍動、マコトニ間一髪、アヤウク、ハカナキ、高尚ノ美ヲ蔵シ居ルコト観破仕リ、以来貴作ヲ愛読シ居ル者ニテ、最近、貴殿著作集『晩年』トヤラム出版ノオモムキ聞キ及ビ候ガ御面倒ナガラ発行所ト如何ナル御作、集録致サレ候ヤ、マ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・春と夏と秋と冬と一年に四回ずつ発行のこと。菊倍判六十頁。全部アート紙。クラブ員は海賊のユニフォオムを一着すること。胸には必ず季節の花を。クラブ員相互の合言葉。――一切誓うな。幸福とは? 審判する勿れ。ナポリを見てから死ね! 等々。仲間はかな・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・という名前をつけて一週間に一回くらいずつ発行したのが存外持続して最近には第九号が刊行されたようである。表紙画は順番で受け持つ事になっているらしい。 出品画を書いているうちは、ひどく人の見るのを厭がって、みんな方々の部屋の隅へ頭をつっこん・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ こんな実験をやっている矢先に都下の有力な新聞で旬刊が発行されるようになった。私の思考実験の一半はすでに現実化されたようでもあるが、残る半分すなわち日刊の廃止という事はちょっと実現される蓋然性が乏しい。 しかし旬刊週刊等の発行によっ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・ その頃発行せられていた雑誌の中で、最も高尚でむずかしいものとして尊ばれていたのは、『国民の友』、『しがらみ草紙』、『文学界』の三種であった。まだ病気にならぬ頃、わたくしは同級の友達と連立って、神保町の角にあった中西屋という書店に行き、・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・当時木曜会の文士は多く博文館の編輯局に在って、同館発行の雑誌に筆を執っていた関係から、拙著はおのずから博文館より出版せられる事になったのであろう。されば其の際僕の身は猶海外に在ったから拙著の著作権を博文館に与えたという証書に記名捺印すべき筈・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・殺人姦淫事件は戦争前平和な世の中にも常にあった事であるから、この事だけでは特種な新聞を発行する資料にはなるまいと思われていたからである。およそ世の読者に興味のあるような残忍の事件はそう毎日毎日、紙上を埋めるほど頻々として連続するものではない・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫