・・・時々真夜中ニ私ノ体ヘ、『アグニ』トイウ印度ノ神ヲ乗リ移ラセマス。私ハソノ神ガ乗リ移ッテイル間中、死ンダヨウニナッテイルノデス。デスカラドンナ事ガ起ルカ知リマセンガ、何デモオ婆サンノ話デハ、『アグニ』ノ神ガ私ノ口ヲ借リテ、イロイロ予言ヲスルノ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・が、その後四五日すると、甚太夫は突然真夜中から、烈しい吐瀉を催し出した。喜三郎は心配の余り、すぐにも医者を迎えたかったが、病人は大事の洩れるのを惧れて、どうしてもそれを許さなかった。 甚太夫は枕に沈んだまま、買い薬を命に日を送った。しか・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・お栄はそれを見ると同時に、急にこおろぎの鳴く声さえしない真夜中の土蔵が怖くなって、思わず祖母の膝へ縋りついたまま、しくしく泣き出してしまいました。が、祖母はいつもと違って、お栄の泣くのにも頓着せず、その麻利耶観音の御宮の前に坐りながら、恭し・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・五 ある秋の真夜中です。体も心も疲れ切った白は主人の家へ帰って来ました。勿論お嬢さんや坊ちゃんはとうに床へはいっています。いや、今は誰一人起きているものもありますまい。ひっそりした裏庭の芝生の上にも、ただ高い棕櫚の木の梢に白・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・三年の祥月命日の真夜中とぞ。雨強く風烈しく、戸を揺り垣を動かす、物凄じく暴るる夜なりしが、ずどんと音して、風の中より屋の棟に下立つものあり。ばたりと煽って自から上に吹開く、引窓の板を片手に擡げて、倒に内を覗き、おくの、おくのとて、若き妻の名・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の真夜中に蘇生った。その時分から酒を飲んだから酔って転寝でもした気でいたろう。力はあるし、棺桶をめりめりと鳴らした。それが高島田だったというからなお稀有である。地獄も見て来たよ――極楽は、お手・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ ところがね、真夜中さ。いいえ、二人はお座敷へ行っている……こっちはお茶がちだから、お節句だというのに、三人のいつもの部屋で寝ました処、枕許が賑かだから、船底を傾けて見ますとね、枕許を走ってる、長い黒髪の、白いきものが、球に乗って、……・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 汽車中、伊達の大木戸あたりは、真夜中のどしゃ降で、この様子では、思立った光堂の見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。 濃い靄が、重り重り、汽車と諸ともに駈りながら、その百鬼夜行の、ふわふわと明けゆく空に、消際らしい顔で、・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ こんな塩梅で、その頃鴎外の処へ出掛けたのは大抵九時から十時、帰るのは早くて一時、随分二時三時の真夜中に帰る事も珍らしくなかった。私ばかりじゃなかった、昼は役所へ出勤する人だったからでもあろうか、鴎外の訪客は大抵夜るで、夜るの千朶山房は・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ ほんとうに穏やかな晩のことです。おじいさんとおばあさんは、戸を閉めて、寝てしまいました。 真夜中ごろでありました。トン、トン、と、だれか戸をたたくものがありました。年寄りのものですから耳さとく、その音を聞きつけて、だれだろうと思い・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
出典:青空文庫