・・・ひどく肥満した土地の先生らしいのが、逆上して真赤になって、おれに追い附いた。手には例の包みを提げている。おれは丁寧に礼を言った。肥満した先生は名刺をくれておれと握手した。おれも名刺を献上した。見物一同大満足の体で、おれの顔を見てにこにこして・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・この柳は北海道にはあるが内地ではここだけに限られた特産種で春の若芽が真赤な色をして美しいそうである。 夕飯の膳には名物の岩魚や珍しい蕈が運ばれて来た。宿の裏の瀦水池で飼ってある鰻の蒲焼も出た。ここでしばらく飼うと脂気が抜けてしまうそうで・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・お悦は、田舎出の迷信家で、顔の色を変えてまで、お狐さまを殺すはお家の為めに不吉である事を説き、田崎は主命の尊さ、御飯焚風情の嘴を入れる処でないと一言の下に排斥して仕舞った。お悦は真赤な頬をふくらし乳母も共々、私に向って、狐つき、狐の祟り、狐・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ この青い秋のなかに、三人はまた真赤な鶏頭を見つけた。その鮮やかな色の傍には掛茶屋めいた家があって、縁台の上に枝豆の殻を干したまま積んであった。木槿かと思われる真白な花もここかしこに見られた。 やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・そして馬鹿々々しいことだが真赤になった。私は一応考えた上、彼女の眼が私の動作に連れて動いたのは、ただ私がそう感じた丈けなんだろう、と思って、よく医師が臨終の人にするように彼女の眼の上で私は手を振って見た。 彼女は瞬をした。彼女は見ていた・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・「本統だから、顔を真赤にしたな。ははははは」「あら、いつ顔なんか真赤にしました。そんなことをお言いなさると、こうですよ」「いや、御免だ。擽ぐるのは御免だ。降参、降参」「もう言いませんか」「もう言わない、言わない。仲直りに・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・○苗代茱萸を食いし事 同じ信州の旅行の時に道傍の家に苗代茱萸が真赤になっておるのを見て、余はほしくて堪らなくなった。駄菓子屋などを覗いて見ても茱萸を売っている処はない。道で遊でいる小さな児が茱萸を食いながら余の方を不思議そうに見ておるな・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 靴にいっぱい雪をつけ、鼻のあたまを真赤にして手袋をぬぎながら車掌が入って来た。 ――フーッ! ――何か起ったの? ――むこうの軟床車の下で車軸が折れたんです。もうすこしでひっくりかえるところだった。 ブリッジへ出て両手・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・その灰色の中に大きい竈が三つあって、どれにも残った薪が真赤に燃えている。しばらく立ち止まって見ているうちに、石の壁に沿うて造りつけてある卓の上で大勢の僧が飯や菜や汁を鍋釜から移しているのが見えて来た。 このとき道翹が奧の方へ向いて、「お・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・女の子の着物は真赤であった。灸の母は婦人と女の子とを連れて二階の五号の部屋へ案内した。灸は女の子を見ながらその後からついて上ろうとした。「またッ、お前はあちらへ行っていらっしゃい。」と母は叱った。 灸は指を食わえて階段の下に立ってい・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫