・・・あるいはそれでも知らぬ顔をすると、今度は外国語の授業料の代りに信仰を売ることを勧めるのである。殊に少年や少女などに画本や玩具を与える傍ら、ひそかに彼等の魂を天国へ誘拐しようとするのは当然犯罪と呼ばれなければならぬ。保吉の隣りにいる少女も、―・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・で、知らぬ顔して奥へ通った。「南無阿弥陀仏。」 と折から唸るように老人が唱えると、婆娘は押冠せて、「南無阿弥陀仏。」と生若い声を出す。「さて、どうも、お珍しいとも、何んとも早や。」と、平吉は坐りも遣らず、中腰でそわそわ。・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ おかしな事は、その時摘んで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨の草に生えて、塀を伝っていたのである。「どうだい、雀。」 知らぬ顔して、何にも言わないで、南天燭の葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・…… かくまでの苦痛を知らぬ顔で堪えた。――幇間が帰ってからは、いまの拷掠については、何の気色もしなかったのである。 銃猟家のいいつけでお澄は茶漬の膳を調えに立った。 扉から雪次郎が密と覗くと、中段の処で、肱を硬直に、帯の下の腰・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・仲間が殺されている下で、知らぬ顔をして、餌を食べているんだもの。」といいました。すると一人は、それを打ち消すようにして、「人間だって同じじゃないか、毎日のように、若いもの、年寄りの区別なく死んで墓へゆくのに、自分だけは、いつまでも生きて・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ しかし、おじいさんは、知らぬ顔で、とぼとぼと歩いていました。おじいさんには太陽のいったことが、ちょうど子供のようにわからなかったのであります。――一九二二・七作―― 小川未明 「幾年もたった後」
・・・だから、あなたも知らぬ顔をして、その仲間入りをしていられたら、だれも不思議に思うものはありますまい。ひとつ都にいって、大胆にそうなさってはいかがですか。」と、かもめはいいました。「そうですか、ひとつ考えてみましょう。」と、からすは答えま・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・自分の家の猫が、近所の家へいって魚をくわえてきたのを見ても知らぬ顔をしていました。そんなときは、「こう、こう、こう、みいや、家へ入っておいで。」といって、猫を家の中へ入れて、戸を閉めてしまいます。 三郎は、かわいがっているボンが・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
・・・じいさんは赤い色の手ぬぐいでほおかむりをしていました。じいさんは知らぬ顔をしてさっさと歩いています。その後から三人は、ひそひそと話しながら、じいさんの前になっている箱の上をのぞいていますと、突然、「このじいさんは人さらいだよ。」と、三人・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
・・・電信柱は、とうとう帰る時刻を後れてしまって、やむをえず、とてつもないところに突っ立って、なに知らぬ顔でいた。妙な男は独り、「おい、おい、電信柱さん、どうか下ろしてくれ。」と拝みながらいったが、もう電信柱は、声も出さなけりゃ、身動きもせん・・・ 小川未明 「電信柱と妙な男」
出典:青空文庫