・・・ こう云われた堀尾一等卒は、全身の筋肉が硬化したように、直立不動の姿勢になった。幅の広い肩、大きな手、頬骨の高い赭ら顔。――そう云う彼の特色は、少くともこの老将軍には、帝国軍人の模範らしい、好印象を与えた容子だった。将軍はそこに立ち止ま・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・「いかに『ブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である』にしても、そのために心の髄まで硬化していないかぎり、狐のごとき怜悧な本能で自分を救おうとすることにのみ急でないかぎり、自分の心の興奮をまで、一定の埓内に慎ませておけるものであろうか。…・・・ 有島武郎 「片信」
・・・これは少し変った言い分のようであるが、しかし一般に云って、同じ団体がそう永く無事に続くということ自身が沈滞と硬化とを意味する場合が多い。これは政党でも学術団体でも、芸術団体でも同様である。どこでもやはり時々「野獣の群」が出なければ新しい生命・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・彼の鼻は石膏細工の鼻のように硬化したようだった。 彼が仕舞時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽から小さな木の箱が出た。「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・ 何故かって、タンクと海水との間の、彼女のボットムは、動脈硬化症にかかった患者のように、海水が飲料水の部分に浸透して来るからだった。だから長い間には、タンクの水は些も減らない代りに、塩水を飲まねばならなくなるんだ。 セイラーが、乗船・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ 良子嬢が東郷元帥の孫としてのつまらない生活の反対物をカフェーに見出したところに、子供のうちから消費生活にだけ馴らされた娘の気分と、今日の貴族階級が生活感情の実質においては、赤化子弟に対する宗秩寮の硬化的態度に逆比例するデカダンスや低俗な・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・が結局「どんなに善意に解釈しても、ソヴィエットの社会主義的進化の実状に対するトロツキーの思想と思索方法とが全く動脈硬化的な抽象論を一歩も出ていない」という翻訳者として意見を表明しておられる。『改造』では、更に猪俣津南雄氏の「トロツキーの・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ 偶像が破壊せられなくてはならないのは、それが象徴的の効用を失って硬化するゆえである。硬化すればそれはもう生命のない石に過ぎぬ。あるいは固定観念に過ぎぬ。けれどもこの硬化は、偶像そのものにおいて起こる現象ではなく、偶像を持つ者の心に起こ・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫