・・・しかし大学にある間だけの費用を支えるだけの貯金は、恐ろしい倹約と勤勉とで作り上げていたので、当人は初めて真の学生になり得たような気がして、実に清浄純粋な、いじらしい愉悦と矜持とを抱いて、余念もなしに碩学の講義を聴いたり、豊富な図書館に入った・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 一人にしてその二を兼ぬる人ははなはだまれである、これを具備した人にして始めて碩学の名を冠するに足らんか。 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・とにかく、自分らの教室にとっては誠に思いがけない遠来の珍客なので、自分は急いで教室主任のN教授やT老教授にもその来訪を知らせ引き合わせをしたのであったが、両先生ともにいずれも全然予期していなかったこの碩学の来訪に驚きもしまた喜ばれもされたの・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・受けてこれを読むに、けだし近時英国の碩学スペンサー氏の万物の追世化成の説を祖述し、さらに創意発明するところあり。よってもってわが邦の制度文物、異日必ずまさになるべき云々の状を論ず。すこぶる精微を極め、文辞また婉宕なり。大いに世の佶屈難句なる・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・希臘語を解しプレートーを読んで一代の碩学アスカムをして舌を捲かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見するの好材料として何人の脳裏にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・て古来、足利の末葉、戦国の世にいたるまで、文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したりといえども、全国の・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
出典:青空文庫